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Summer Inspiration

  • ア-31〜32 (小説|エンタメ・大衆小説)→配置図(eventmesh)
  • さまーいんすぴれーしょん
  • きさらぎ みやび
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 500円
  • 2020/11/22(日)発行
  • カクヨムで長編小説を連載、
    noteで短編を掲載の
    きさらぎ みやび の短編を書下ろしで書籍販売。



    「Summer Inspiration」

     満を持してステージにバンドメンバーが現れる。
     心なしか緊張しているようなメンバーの顔。初めてのフェス参加に戸惑っているのは七海だけではないようだった。それでもいざ演奏が始まれば、あとは彼らの世界だ。心地よいリズムといつもより遠くまで響いていくメロディ。  
     普段のハコと違って反響するものがないぶん、音は遥か先までのびやかに走り抜けていく。最初は慣れないステージに戸惑っていた彼らだったが、次第により遠くまで、より強く届かせようと演奏にも熱がこもる。ドラムをたたく手元の加減やギターを弾く勢いも一層力のこもったもののように七海は感じていた。  
     彼らのボルテージにつられるようにして、気がつけば七海は元居たところよりも随分と前方、ステージ近くのエリアにいた。最初はファンとそうでない人たちのテンションには明らかに違いがみられたものだったが、短い出番の中でもいつの間にか七海のいるエリアでは誰もが夢中になって彼らの音楽に浸っており、バンドの面々もそれに対して思いをぶつけるようなエモーショナルな演奏でラストのフレーズを締めくくった。  
     ジャンッ!!!と最後の一音が鳴らされて、七海は思わず「イェーィ!」と、普段の彼女ならなかなか上げることのない歓声を、両手を空に高く突き上げて叫んでいた。  
     そうして初めて、彼女は自分が全身汗だくになって音楽に身を浸していたことに気がつく。我に返るとこの短い時間で水分をかなり消費してしまったのか、少々足元がふらついていた。  
     あ、これちょっとまずいかも。  
     そう思った時にはくらりと体が傾いていた。妙に冷静な頭で地面が近づいてくるのを見つめる。  
     ぽすっ、という感触と共に地面に倒れ伏す途中で体の傾きが止まった。首を捻って見上げた視界には心配そうに七海を見つめる女性の顔があった。
    「あの、大丈夫ですか?立てます?」  
     どうやら彼女が倒れそうになった七海をとっさに支えてくれたらしい。彼女に支えてもらいながら、七海がどうにか体の軸を正常に立て直したところで首筋にひんやりとしたものが押し当てられた。見ると、彼女が自分の首にかけていた保冷剤をくるんだタオルを七海の首にかけてくれていた。
    「少し首元を冷やすといいですよ。あと、これ飲んでください」  
     持っていた保冷バッグに包まれたペットボトルを差し出してくる。  
     すいません、ありがとうございますと七海は彼女にお礼を言って、冷えたスポーツドリンクを喉に流し込んだ。無意識に失われていた水分が補給されたことでようやく少し体調を取り戻す。ふらついていた足元も、どうにか歩けるくらいまでには回復していた。
    「すいません、ちょっと汗をかきすぎたみたいで」  
     恐縮しながらお礼を述べる七海に対して、その女性は笑いながら、「もしかして、フェスは初めてですか?」と話しかける。
    「はい。初めてなんですけど、ちょっと油断しちゃいましたね……」
    「歩けそうですか?」
    「大丈夫そうです。助けていただいてすいません。後はテントの所まで戻るので」
    「あ、じゃあテントの所まで一緒に行きますよ」  
     申し訳ないと思いながらも七海は彼女についてきてもらうことにした。正直に言って大丈夫とはいったものの、まだ少し頭がクラクラしていて人ごみの中を通り抜けてテントへ戻るのには不安があったからだ。  
     彼女は坂本(さかもと)彩(あや)夏(か)と名乗った。  
     夏フェス初心者の七海からすると随分とフェス慣れしているように見える彼女は短めにカットした栗色の髪を日差しに煌かせており、それはまるで彼女自身が内側から光っているようだった。  
     (私も髪、切ってくればよかったかな)
     七海の背中まで伸びた黒髪は頭の後ろで一つに括っているものの、彼女の髪をと比べるとそれはひどく重苦しく思えた。  
     テントサイトへと向かう道すがら、話題に上ったのは先ほどのバンドのライブのことだった。七海が着ているティーシャツを見て、彩夏が気さくに話しかけてくる。
    「七海さん、そのシャツってもしかしてファイバンの十周年記念グッズ?」
    「あ、そうなんです」  
     バンドのファンはファインバインのことを略して「ファイバン」と呼んでいた。その呼び方を知っており、グッズについても詳しいことから彩夏もバンドのファンであることが七海にも容易に察せられた。
    「凄い、それネットで予約開始五分で完売したやつだよね」
    「そうなんです。すっごい運よく買えて」
    「いいなー、私ファンクラブ先行でも取れなかったのに」
    「坂本さんは、その」  
     言いかけた七海の言葉を突き出した人差し指で遮って、朗らかに彩夏は答えた。
    「彩夏でいいよ。私もう七海って勝手に呼んじゃってるし」
     絶え間なく音楽がかき鳴らされているいくつもの演奏ステージの脇を抜けながら二人は並んで歩く。テントサイトに到着するまでの間に同じバンドのファン同士という事に加えて、お互い同じ年齢で共にライターの仕事をしているということも分かり、二人はすっかり意気投合していた。  
     七海のテントまで戻ってくると「なんか飲み物とか買ってくるよ」と言って有無を言わせず彩夏はフードエリアまで駆け出していく。ほどなくして戻ってきた彼女は二人分の焼きそば、ビールにスポーツドリンクを両手いっぱいに抱えていた。
    「いい匂いしてたから思わず焼きそばも買っちゃった」  
     彩夏は悪戯がバレた小悪魔のように舌を出して魅力的に笑う。  
     二人でテント前に敷いたビニールシートに座るとおもむろに彩夏は缶ビールのプルトップを二つとも開けて、七海に差し出してくる。
    「はい。ほんとはお酒は良くないかもだけど、せっかくだし一口くらいは飲んでよ。余ったら私が飲むし」  
     七海はありがとう、と言って受け取り、二人で缶を付き合わせて乾杯する。  
     ちびりと口を付けた瞬間、これまで感じたことのなかった感覚に七海は思わずつぶやいていた。
    「え、うそ、ビール美味しい」  
     七海はそれまでビールの苦みがいまいち好きではなかったのだが、今飲んだビールはキュッとした喉ごしと後からついてくる苦みがとてつもなく美味だった。  
     彩夏はにやりとした笑顔を見せてさも自慢げに言う。
    「でしょ~?フェスで飲むビールは最高なんだよ!」
    「ほんと、美味しいこれ」
     七海は目を丸くしながらビールを喉に流し込んでいく。良く冷えたビールは火照った体に染み渡って心地良かった。  
     見ると彩夏は一気にビールをあおって、さっそく焼きそばに手を伸ばしていた。紙製の使い捨て容器の蓋を開けると、レモンの爽やかな香りがふわりと広がり二人の鼻腔をくすぐった。地元特産のレモンをふんだんに使った塩レモン焼きそばは塩分が失われていた七海の身体にほどよく塩気を取り戻させる。
     焼きそばを口いっぱいにほおばりながら、バンドのことや、好きな音楽について語り合う。まるで音楽に初めて出会った頃に戻ったかのように二人は夢中でおしゃべりに興じていた。  
     気がつけば、夏の光はすっかり赤く染まり、高台にあるテントサイトから遠くを見渡すと太陽が島陰にゆるゆると沈もうとしている。離れたステージで鳴り響く演奏音が海から吹き付けてくる涼しい潮風に乗って、二人の元まで届いてきていた。
    「あー、なんか最高だなぁ」  
     ちかちかと頭上に瞬き始めた一番星を見上げて彩夏がつぶやく。七海も同じように空を見上げてつぶやいた。
    「そうだね、こんなとこに住めたら最高だね」  
     しばらくの沈黙ののち、彩夏がぽつりと七海に言う。
    「ねえ、二人でさ、本当に住んじゃわない?ここに」
    「ここって、この島に?」
    「そう。お互いライターだしさ、ウェブ関係の仕事だったらここでもできると思うんだよね。せっかくならカフェとかもやりたいな。私昨日島を見て回ったんだけどさ、そういうお店意外と少なくて、結構需要あると思うんだよね」  
     唐突な話ではあったが、それは七海にとってもとても魅力的な話に思えた。  
     今は東京で働いているけれど、それはよくよく思い返せばなんとなく東京の大学に進学してそのままそこで就職をしたからであって、改めて考えてみるとただの惰性でいまの自分の居場所を決めてしまっていたように思えてくるのだった。
    「……うん、それもいいかも」


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