僅かだが、いつもの日常が戻ってくる。そう言ったアルフレッドにあまり表情の変わらないシェリダンの顔がパァッと明るくなった。その途端にグイッとアルフレッドの胸元に顔を押し付けられる。困惑するシェリダンの耳に、実に深々としたため息が聞こえた。
「あ、アル……?」
「まったく、無自覚というものは恐ろしい」
こんなに可愛らしい顔を他人に見せてたまるかと、アルフレッドはシェリダンのベールを引っ張って目深に被らせた。
「アル?」
いったいどうしたというのだろう、とアルフレッドの胸の内などまったくわからないシェリダンに苦笑して、アルフレッドはシェリダンの腰を抱きながら促し、先ほどまでシェリダンが座っていた椅子に並んで座った。側妃たちも椅子に座り、商人たちも顔を上げる。
「で? 何を求めた?」
シェリダンの腰を抱き寄せるアルフレッドに頬を赤く染めながらも、クレアたちが持ってくれている品々を指さす。
「レイルと、子供たちの物を。それから、お気に召すかわかりませんが、アルに似合いそうな物を」
クレアたちがアルフレッドに見せるようシェリダンが買った品々を見せた。王子や王女の物はラーナとミュシカに助言を貰ったのだというシェリダンに、ラーナたちは揃って王子の代わりに御礼を、と礼をする。
シェリダンは買った品の中から一つの細帯を取った。そう派手ではないが輝く玉や宝石が趣味よく散りばめられ、間に刺繍の施された逸品だ。シェリダンが差し出した細帯にアルフレッドは指を滑らせる。
「これは確かに良い品だな。シェリダンが選んでくれたというだけで、尚更輝いて見える」
サラッと告げられた言葉にカァッと顔を真っ赤にしながら、消えそうな声で「ご冗談を……」と呟いた。アルフレッドがこのように甘い言葉を囁くのはいつものことであるのに、いつまでも慣れず顔を赤くして恥ずかしがるシェリダンにアルフレッドはもちろん、側妃たちも頬を緩めた。
「それで、シェリダンの物は?」
「あ、いえ、それは――」
物欲がないだけなのだが、ほしい物がさして無いと言ったらここにいる商人たちの矜持を傷つけるのではと言葉を詰まらせるシェリダンに、アルフレッドは彼の後ろに視線を向ける。視線を受けたエレーヌは無言で首を横に振った。
「ではシェリダンの分は私が選ぼう。見せよ」
王妃であるシェリダンへの品を王であるアルフレッドが選ぶ。その言葉に商人たちは目を輝かせて雪崩のように各々の商品を手に勧めてきた。そのあまりの勢いにビクッと肩を震わせ無意識のうちに後ろへ逃げようとしたシェリダンの身体をアルフレッドは抱き寄せ、宥めるようにポンポンと優しく叩く。
「妃殿下にはこちらのお衣装などいかがでございましょう。お袖と襟元に大粒の真珠をあしらい、刺繍ではなく染めで一枚絵を全体にほどこした逸品で、帯にもダイヤモンドとエメラルドを散りばめております。このように豪奢な品は妃殿下にこそふさわしいかと」
「こちらの首飾りは金を贅沢に使ったもので、妃殿下の胸元を華やかに彩りましょう!」
「陛下、こちらのベールはいかがでございましょう! お座りになった時には邪魔にならぬよう淵に刺繍と大粒の真珠をあしらい、美しい染で全体を彩っております」
「こちらの耳飾は翡翠を使ったもので――」
次々と差し出される品々は最高級の物ばかりで、未だ庶民の感覚を持っているシェリダンは額に汗を浮かばせ口元を引きつらせているが、生まれながらの王族であるアルフレッドは冷静に品々を手に取ってはシェリダンに当てて似合うかどうかを吟味していた。
「金の見た目は最高のものだが、あまり重いと身体を痛めてしまう。それよりそちらの腰飾りを見せてくれ。それから、そなたが持っているベールに追加で紋の刺繍はできるか? その耳飾りも見せよ」
次々に指される品を商人たちは嬉々としてアルフレッドに見せる。そのすべてが目を見張るほど高価なものばかりで、シェリダンは思わずアルフレッドの袖を掴んだが、側にいるラーナがそっとシェリダンを止める。
「この程度であればどうということはございません。高官方もお勧めになっておられるようですから」
商人たちに聞こえないよう耳元でラーナに囁かれ、確かに経済を回すために使ってくれと嘗てはアルフレッドに言う立場であったシェリダンはその言葉に反論できず、掴んでいたアルフレッドの袖を放す。しかしどうしても値段を考えてしまい顔を青ざめさせるのは致し方のないことだろう。シェリダンは元々貧乏な名ばかりの下級貴族。金遣いの荒い義母や義妹にシェリダンの給金さえ消え、いつだって必要最低限のものさえ安い物を探して店を渡り歩いていたのだから。
「こちらの指輪はいかがでございますか? 稀少なアレキサンドライトをあしらったもので――」
商人がビロードの箱に納められた大粒のアレキサンドライトの指輪をアルフレッドに勧める。しかしアルフレッドの袖を掴んだシェリダンが静かに首を横に振った。
「アル、とても美しい品ですが私はこの指輪以外は、いりません」
そっとシェリダンが触れるのは、己の指に輝くサファイヤの指輪だ。同じ意匠でアメジストがあしらわれた指輪はアルフレッドの左手の薬指に嵌められている。アルフレッドがシェリダンの誕生日に贈った、お揃いの指輪だ。
高貴な者は幾つも指輪をつけているのが普通だ。だがシェリダンはこの指輪だけでいい。この指輪だけがいい。そんな風に言われてしまっては、アルフレッドも笑みを隠し切れなくなる。
「そうだな。だがアレキサンドライトは美しい宝石だ。指輪以外でないのか?」
視線を向けられた商人は不興を買ったかと肩を震わせていたが、アルフレッドの言葉にホッと小さく息をつき、ございます! と目を輝かせてアレキサンドライトがあしらわれた品々を並べ始めた。
アレキサンドライトは蝋燭の灯りや太陽の光などによって色を変える珍しい宝石で、当然値も張る。だがアルフレッドはあまり気にすることなく幾つものアレキサンドライトをあしらった品を見た。流石は富国オルシアの王といったところか。
あれこれと品を見ながら購入していくアルフレッドに顔を青ざめさせてアタフタするシェリダンを女官や側妃たちが宥めながら、なんとかその場を終わらせることができた。側妃たちも各々好きなものが買えて満足そうだ。ラーナとミュシカに王子たちへの贈り物を渡し、王女への贈り物はクレアに王女を世話している女官に渡すよう頼んだ。
アルフレッドはこれからまた執務室に戻って夕食までは執務の予定だが、少しは余裕があるのかシェリダンの腰を抱きながら一緒に王妃の私室へと向かう。私室の扉を開いた瞬間に駆け寄ってきたレイルの頭を撫でて、アルフレッドはシェリダンの額に触れるだけの口づけを落とした。
「これからレイルを連れて庭に行くのだろう? ベールをしっかり被って、身体を冷やすな」
まるで親のように言うアルフレッドに小さく笑みを零して、シェリダンは頷いた。
「アルも、どうぞご無理なさいませんように」
互いに抱きしめ、触れるだけの口づけをして、そして執務室に戻るアルフレッドをシェリダンは見送った。尻尾を振ってグルグルとシェリダンの足元にじゃれつくレイルを抱き上げる。
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