こちらのアイテムは2020/11/22(日)開催・第三十一回文学フリマ東京にて入手できます。
くわしくは第三十一回文学フリマ東京公式Webサイトをご覧ください。(入場無料!)

全部、嘘。

  • エ-39 (小説|純文学)→配置図(eventmesh)
  • ぜんぶ、うそ。
  • 書籍|電子書籍
  • 180円
  • 総務部に配属された出版社会社員/「十時前」
    ティーンエイジの女の子/「オーガスト・フール」
    余命あと僅か、両親と恩師と親友を探す男「最期の記憶」
    若い女と男「それでも、この想いだけは。」

    それぞれの“ 嘘 ”の物語。


    「十時前」


    「安藤くんってヤル気なさそうに見えるよね」
     隣の席に座る二個年上の曽根さんが話し掛けてくる。最初は僕に向けられて発せられた発言なのかわからなかったが、自分が「アンドウ」であることに気付き、「え?」と仕事の手を止め、声の方を向く。
     夕方四時頃のこの時間帯は仕事のピークが過ぎ、雑談する余裕も生まれてくる。外を見ると、そんな僕らをあたたかく見守るような桜がほんのりと咲き、この時期の窓際の席は特等席だと毎年のように感じる。窓に張り付くピンクの花びらが押し花みたいで、遅咲きの陽射しがそれを照らしている。
    「いや、ちゃんと仕事してるし、若いんだけど、なんかヤル気なさそうなんだよねー」
    「え、まじですか」と言いながら曲がっていた背筋を正す。
    「いや、ヤル気はもちろんあるんですけどねー」
     僕は嘘をつく。ヤル気なんてあるわけないだろうに。こんな会社で、事務作業に精を出して取り組む人間がいるだろうか。僕にとってはヤル気がある方が嘘みたいに思えてしまう。僕の同期の中でもヤル気を前面に押し出して、なりふり構わずアピールしようとするやつがいる。
     今年で入社して七年目。若手から中堅になろうとしている僕は、自分の立ち位置が正しいのかどうかがわからずとも、なんとなくその位置をキープし続けてきた。入社してから今の今まで、与えられる仕事もモチベーションも変わらず、よく言えば安定した日々を送り続けてきた。そんな相変わらずの仕事ぶりを披露していたにも関わらず、思いも寄らぬ一言に、動揺はしないがペースは崩れる。いつもはミスしないような印刷の向き設定を間違えてしまって、コピー用紙二枚を無駄にしてしまう。半分しか写らなかった資料が滑稽に見える。
     あーあ、とぼやきながら席に戻ると、再び死への恐怖の波が襲ってきて、慌てて違うことを考えようとする。ついさっきヤル気がないと言われてしまったことへのなけなしの反省と、どこに要因があったのかを省みるも、要因がありすぎてすぐに諦める。
     入社した頃を思い出し、思えばあの頃からヤル気なんてとうになかったなあと、よき青春時代を振り返るように懐かしむ。

     入社式。僕ら新入社員は新調したスーツを纏いながら、緊張した面持ちで社長室に集められていた。社長席の後ろには、社訓だか企業理念だか忘れたが、『出版文化を未来へ届け、世界を豊かにする』と習字体で書かれた掛け軸が飾られていた。
     出版業界に入りたかった僕は、いくつかの出版社をローラー式に受け、なんとか中堅の出版社から内定を貰うことができた。ここを落ちたら業界自体を諦めようとして臨んだ、最後の一社だった。なんとなく縁と恩を感じ、内々定の電話を貰った瞬間に入社を決意した。月刊誌と不定期のムックを中心に雑誌刊行に力を入れた会社で、雑誌内の連載から書籍を出版することも多く、何年かに一度はベストセラーを生み出すほどだった。
     十年ほど前は。
     今や世でも当たり前のワードとなった出版不況の時代。雑誌の発行部数も年々落ち、出版社や書店が軒並み潰れていく中、ベストセラーなんて言葉もたまにしか聞かなくなった。そんな荒波の時代に採用された僕らは、勝手に出版業界の未来を担わされ、業界全体の変革の舵取りをしてほしいと、薄らハゲの社長に魂を込めて言われた。僕らは、というか僕は、はい!と心のカケラも込もってない返事で社長を熱くさせ、一人一人と握手するというベタな展開に嫌気が差していた。今思うと、この時点からヤル気は失っていた。
     横並びに並ぶ八人の同期たちと順番に握手する薄ハゲ、もとい社長。男四人、女四人と合コンするにしては男女比のバランスがいいな、とひとり順番の最後で妄想に耽っていると、次が僕の番。こいつら全員の汗が染みた手と握手するのか、嫌だなと思いながら握手すると、想像以上に手が濡れていて、薄ら笑いを浮かべてしまう。よろしくお願いします、と頭部を見ながら意気込む。あくまでヤル気のある新入社員を演じながら、溌剌と発する。薄ハゲは気味の悪い笑みを浮かべながら、よろしく頼むよ、と肩をポンと触る。せっかく買ったスーツなのに、と触れられた肩を見ながらひどく落ち込む。時計の針は九時半を指す。もう帰りたいと思うが、まだたくさんのアジェンダが残されていることに絶望する。
     この後、何某かのハゲの訓話があり、先輩社員の激励の御言葉があり、経理やら総務やらの社内ルールの説明があり、人事からのインフォメーションがあり、最後に新入社員がそれぞれの抱負を三十秒程度で語る時間だけが残された。僕はこの数時間ですっかり削ぎ落とされてしまったヤル気を再び取り戻そうと、背筋を伸ばす。にも関わらず、同期のしょうもない抱負の数々を聴いていると、萎んだ風船のようにヤル気が尻つぼみし、再び猫背に戻る。
     次が僕の番。僕はこの数年弊社から出ていないベストセラーを、自分の編集した本から生み出してみせます、とそれっぽい嘘を口にして空気を和ませた。社長や人事部の人たちの微笑ましい拍手姿を見ると、なんだか大団円で終わったようで、めでたしめでたし、と昔話を終わらせたような気持ちになった。

     そんな表面上は夢のある抱負を語った僕が配属されたのは、総務部だった。
     最初に辞令を受け取ったときは、ん?となった。あの微笑ましい拍手姿はなんだったんだ、と人事部の人たちに聞こえないように舌打ちをした。他の同期は編集部や営業部など、それなりに出版社ぽい部署に配属され、それなりにやりがいが期待できそうな出版人生をスタートさせた。横並びで並んでいたはずのスタートラインで、僕だけが総務部という出版社でなくてもよい部署に放り投げられ、実家で飼っているペットの猫のように、放し飼いのように育てられている。よく言えば自由なのだが、悪く言えば放任である。
     あれから六年が経過して、今年で七年目。
     僕はまた誰にも聞かれないようにちいさく舌打ちする。

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