古代エジプト新王国時代第18王朝期(約3500年前)に建造された建築遺跡調査に参加した際のフィールドノートからセレクトした図版をほぼ原寸で複製し、再構成した冊子です。
1976年12月から1981年1月までの「魚の丘」建築遺跡調査(6冊)と、1985年11月から1988年1月までのアメンへテプIII世王宮趾調査(4冊)における現地での調査活動の記録の一部を収録しています。
現地調査にはこのノートを必ず携え、発掘現場では鉛筆描きでスケッチしたものを、宿舎の研究室に戻ってから水彩絵の具で彩色し、メモを追記したものです。
この冊子では、以下の目次に示すテーマに沿って選んだページを収録しています。
Decoration:装飾
アメンへテプIII世のマルカタ王宮から出土した建築装飾。
この王宮建築の主要構造体には日乾煉瓦が用いられ、内部空間の床、壁、天井には、漆喰塗の下地の上に華麗な色彩の装飾が施されていた。
描かれた形象は、王の権威(王名やネクベト神)・守護(聖刻文字:サア)・永続する生命(聖刻文字:アンク)などの象徴的なモチーフが主である。これらの建築装飾が躯体の表面を覆い尽くすことによって、この建物の「高貴性」が高められる。
Elements:建築要素
古代エジプト建築に特有の様々な建築要素。
柱:古代エジプト建築には、パピルスやパーム(ナツメヤシ)などの植物を形象化した特徴的な柱頭(装飾)のタイプがあるが、ここでは、断面形状と寸法、配列に着目している。
扉:内部と外部とを区別する場所である戸口の形式に着目し、調査した遺跡の復元のための参考にした。枠の細部や装飾にも着目している。
偽扉:他界と此界の境界を表示する「偽の開口部」。古代エジプト建築固有の要素であり、墓室などに限らず、世俗建築にも現れる。
祠堂:建築の始原的タイプのひとつ。自律的な形式としての完結性が興味深い。
平面形式:矩形の輪郭をどのように分節(アーティキュレート)しているかに注目した。
階段と斜路:建築の記念碑性(モニュメンタリティー)を顕示する要素であり、基壇への上昇が祭儀との関連を想像させる。
Hieroglyph:聖刻文字
ヒエログリフ(聖刻文字)は、古代エジプト語を表記する、形象と意味と音価が複合したピクトグラム(絵文字)のシステムである。古代中国文明が開発した象形文字「漢字」のシステムとの類似点もあるが、この漢字を文字表記に借用した古代日本の「万葉仮名」と同じように、アルファベット(表音文字)としての性格も有する複合的な言語表記システムである。
書記がパピルスに筆記するときは、「ヒエラティック体」と呼ばれる草書体が用いられた。しかし、石造建築に刻されるのは常に正書体(オルトグラム)である。
王の名はカルトゥーシュ(長円形の枠)に囲まれて示される。
Landscape:風景
「魚の丘」遺跡やマルカタ王宮址の現場から臨まれる景観。数千年前の古代エジプト人も、ほぼ同じ風景を眼にしていたのではないか。
ナイル西岸の丘陵と山脈。両岸に広がる耕作地帯。茶褐色と緑の対照。そして、王宮とナイルを結ぶ巨大な人工湖を掘削した際の排土のマウンドや、古代ローマ期のものと推定される遺跡などの人為の痕跡も含めた風景は、古代エジプト人を強く支配した生と死、永遠性の観念とも結びついていた。しかし、現代人にとってはあたかも白昼夢のようでもある。
Masonry:組積
「魚の丘」建築遺跡の日乾煉瓦造の組積方法を分析するために中央基壇の周囲を構成していた擁壁を実測したスケッチ。地表面からの高さ約2.4m、厚さ2.1mの基壇(約19m四方)が建ち上がっていたが、調査の過程で、擁壁部分のみを遺して、基壇上建物の基礎や舗床、基壇内部の充填材などは除去・解体された。
発掘調査は、同時に遺跡の「破壊」でもあることを思い知らされると同時に、今まで隠されていた擁壁の内側が創建当初の姿のままで顕われた。
こうした「破壊」を補うだけの克明な記録と精緻な分析、そして復元案の提示が求められる。
Museum:博物館
カイロやルクソール、ベルリン、パリのルーヴルなどに収蔵されている興味深いコレクションをスケッチする。
古代エジプトの物差し。ある王墓を描いた建築的な図面。副葬品として造られた陶器や金属製、石製あるいは木製の工芸品。女性楽士を描いた素描など。
古代エジプトの工人が制作した逸品には、現代人の感性と同期する「美」が表現されている。
こちらのブースもいかがですか? (β)
奇書が読みたいアライさん ぬかるみ派 書肆侃侃房 SCI-FIRE ナナロク社 胎動LABEL 斜線堂有紀 翻訳ペンギン エリーツ RIKKA ZINE