エルム歴八二七年、大国エルム・ドーラは国王グランオームによって治められている。
自然の豊かなこの国は、国土の半分以上が木々に覆われている。
しかし、豊かな自然に反して人々の暮らしは苦しむ者が多かった。その原因は、グランオームが即位した直後からの厳しい税金の取り立てが原因だった。
貧しかった村はどんどん衰退していき、滅んでしまった場所もある。
なんとか残っていても、絶望の中生きている者が多かった。
そんな中、細々と生きながらも心の中に余裕を持って過ごしている人々が多い村があった。基本的に自給自足の生活を送っているが、互いに助け合いながら生きている者の集まりであった。
その村に住んでいる少女──ネルフェリールは、毎日のように山を駆け巡っている。その手には細い剣を握り、剣の修業を行いながら狩りをしていた。
その剣術は誰に教えられたものではなく、気が付けば自ら身に付けていたものであった。村で剣術大会を行えば、男たちを物ともせず彼女が勝つこともあった。
そのときの姿はまるで少年のようである。
朝日の差し込む部屋では、ネルフェリールが出掛けるために身支度をしていた。セミロングのオレンジ髪を梳いて整え、剣を腰に下げて部屋を出る。
「おはよう、ネル」
「おはよう、ママ」
ネルフェリールのために用意された朝食に視線を移し、ネルフェリールは笑顔でそれにありつく。
幸せそうに食べるその姿を見守りながら、彼女も向かいに座って朝食を口にする。
しばらくすると、ネルフェリールは食べ終えたようで出掛けようと立ち上がる。
すると、血相を変えて家の中に男が入ってくる。
「大変だ! 赤旗の兵士がこっちへ向かってきている!」
「何ですって!?」
ネルフェリールには何のことだか一切分かっていないが、二人は慌てふためきながら部屋の奥へと入っていく。
「パパ……? ママ……?」
呆然と立ち尽くすネルフェリールは、二人が去っていった方を眺めているだけであった。
ウロウロとテーブルの周りを歩き、もう何周したか分からないところで二人は戻ってきた。手には麻でできた袋と何かを書いたメモがある。
「ネル、馬でこの地図のところまで逃げなさい。村を出るまでは誰かが案内をしてくれるわ。これは食糧よ」
「えっ、私一人で……? パパとママは?」
ネルフェリールは母に掴み寄るが、二人とも黙り込んで話そうとしなかった。それでも諦めずに彼女は二人に必死に問う。
ドンドンッ──
「おい、準備はできてるか?」
若い男の声がドアの外から聞こえる。その声で我に返った二人は、戸惑ったままのネルフェリールを外へと促した。
「さあ、行くのよ」
強引に麻袋と地図を押し付け、ネルフェリールを外へ出す。
「パパ! ママ!」
戻ろうとするネルフェリールを青年は無理矢理引っ張っていき、村の中でも木々が生い茂る場所へと連れて行く。
「あのっ、離してください。パパとママが……」
「ネル、君は先に行くんだ」
彼の想いが込められたその一言で、ネルフェリールは大人しく従った。
徐々に緑が深くなっていく中で、小さな広場のような場所が現れた。そこには馬が一頭ぽつりといた。
青年はネルフェリールを馬の方へ促すと、一歩下がってネルフェリールをじっと見た。
「ネル、アンナさんとジャンさんが渡してくれた地図のところまできちんと行くんだ。君は、俺たちの希望だから」
「えっ……それって……?」
どういうこと、と問おうとしたところで、青年は血相を変えて村の方へと戻っていった。
その場所にただ一人取り残されたネルフェリール。突然の展開に訳も分からず立ち尽くしていた。
両親や村の人々のことが心配になる。それでも、彼らに言われたことは逃げろという言葉。彼女はそれに従うしかなかった。
複雑な気持ちを抱えたまま、ネルフェリールは馬に跨る。慣れた手付きで準備を整えると、ゆっくりと動き出した。
細い道を抜けると、徐々に速度を上げようとする。しかし、飛び出している小枝がそれを阻む。それでもなんとか、出せる限りの速度を出してネルフェリールは進んでいく。
辺りは緑が深くなっていき、蹄の音と木々が揺れる不気味な音しか聞こえない。それでも不安が少々残っているのか、呼吸が荒くなっていく。だが、止まることはなく、物怖じせずただひたすら前を向いている。
「あっ……」
急に整った道に出たと思えば、分かれ道が現れた。ネルフェリールは馬を止めて降り、地図を確認する。
何度も見返すが分からず、地図と目の前を何度も見返す。
すると、ネルフェリールの周囲を何人かの男たちが囲む。野盗である。
彼女がようやく気付いたときには、剣の先を向けられたときだった。
「命が惜しければ持ってるものを全てよこしな」
「…………」
身体を動かさずに視線だけを動かして周囲を確認する。
視界に見える範囲には三人、左側にいる野盗は剣を取れば斬ることができる距離。きっと後ろにも誰かいる、そう思いながらゆっくりと手を上げて左側から振り返る。
正面で野盗を一人捉えたその瞬間、ネルフェリールの手は腰の剣に伸ばされ、完全に油断しているその隙をついて斬り掛かる。
的確に急所を狙われた野盗は、その場に倒れる。
「なっ……」
「動いて!」
馬の手綱を動かし、反対側にいた野盗へ向けて走らせる。
驚いた野盗はその場で倒れ込み、そのまま馬に踏み付けられる。その隣にいた野盗も馬に驚き、ネルフェリールから逃げ出す。
自分の周囲から野盗を追い払い終えたと認識したネルフェリールは、走り出した馬の方へと駆け寄る。その音を耳にした馬はゆっくりと止まっていき、彼女が乗るのを待つ。
ようやく横に並んだその瞬間、何かがネルフェリールに向かって飛んできて彼女と馬の横を通り過ぎた。ギリギリのところを掠めたそれは地面に刺さる。矢であった。
飛んできた方向を見ると、白い布を纏った男が弓を持って待っていた。野盗の残りのようであるが、他の者とは明らかに雰囲気が異なっていた。
「逃さない……」
弓をその場で捨てて短剣に持ち替え、ネルフェリールに向かってくる。その速さはネルフェリールにも劣らない。
馬を傷付けないようにネルフェリールは一歩前に出て剣で応戦する。刃の交わる音が響き渡り、その場の空気が冷たく凍る。
不気味な笑みを浮かべながらネルフェリールへとじりじり近寄る。
早く行かなければ。
そう思いながらも、目の前の野盗は倒せず、馬に乗って逃げれば弓で攻撃される。ネルフェリールは逃げられない状況となっていた。
どうにかしなければ、と頭で考えているうちにも、野盗の猛攻は続けられる。なんとか受け止めることは可能であるが、それ以上が踏み込めない。
しばらくその状態を続けているうちに、ネルフェリールは急に下がった。そのまま野盗の手の届かないところまで下がり、馬に乗ろうとした。
完全に手が届かないと判断したところで、野盗は持っていた短剣を手放す。
すると、ネルフェリールは手綱から手を離して全速力で野盗へと近付く。
「はあぁ!!」
突然の行動に慌てて弓矢を構える。しかし、安定していない構えはネルフェリールに隙を見せたものと同然で、構えた弓矢はネルフェリールの一撃で壊されてしまった。
「くそっ……」
鞘に収めた短剣を取ろうと慌てて探るが、震える手は上手く掴めずに落としてしまう。
そうして隙が生まれたところを、ネルフェリールは斬りつける。そうして野盗は地面に倒れ込み、虫の息でその場から動かないでいた。
激しい戦いは、一瞬の油断によってネルフェリールがその場で立つことで決着した。
彼女はちらりと野盗の姿を見てから、再び歩き出した。馬に跨がり、そのまままっすぐに進んでいった。
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