こちらのアイテムは2026/9/13(日)開催・文学フリマ大阪14にて入手できます。
くわしくは文学フリマ大阪14公式Webサイトをご覧ください。(入場無料!)

復刻!怪奇漫画全集

  • け-23〜24 (ノンフィクション|エッセイ・随筆・体験記)
  • ふっこく!かいきまんがぜんしゅう
  • 旭堂南湖
  • 書籍|A5
  • 40ページ
  • 1,000円
  • https://note.com/nanko2025/n/…
  • 2026/6/28(日)発行
  • ホラー・オカルト・サブカル好き大集合!
    笑えるB級怪奇漫画。

    40Pフルカラー!表紙は豪華全面箔。

    収録:
    漫画「地獄日和」
    漫画「ラブレター」
    文章「覚書・芸大生だった
    頃」

    講談師だけではなく、怪談師としても活躍する旭堂南湖が、
    大阪芸術大学の大学院生だった1998年に描き上げた「幻の漫画」がついに復刻。
    「ガロ系」やB級怪奇漫画に色濃く影響を受けた本作は、
    中野の伝説的サブカル系書店「タコシェ」に並ぶとすぐに完売。
    知る人ぞ知る幻の同人誌です。
    長きにわたり入手困難となっていましたが、今回、40Pフルカラーで復刻。
    収録しているのは、処女作「地獄日和」と、笑撃のラストページ、第2作「ラブレター」。
    当時のカラーコピーならではの独特な発色と「味」はそのままに、
    セリフ等の文字はすべて打ち直し、読みやすくなっています。
    さらに、当時の日々や制作の裏側を赤裸々に綴ったエッセイ「覚書・芸大生だった頃」も特別収録。
    90年代のサブカルチャーや怪奇漫画を愛するすべての方にとって、必読の一冊に仕上がっています。

    読者の感想

    『怪奇漫画』というタイトルに惹かれて手に取りましたが、独特のヘタウマなタッチがとにかくクセになります。ただ不気味なだけじゃなく、クスッと笑える面白さもにじみ出ていて、気づけば一気読み。『覚書・芸大生だった頃』は、90年代の漫画・同人誌シーンが垣間見れるのが非常に面白かったです。当時の界隈を知る者としては懐かしく、知らない方には、新鮮に感じるでしょう。

    【試し読み】

    覚書・芸大生だった頃

     一九九三年四月、大阪芸術大学芸術計画学科へ入学しました。大学は南河内郡河南町の小高い丘の上にあり、最寄り駅は近鉄長野線の喜志駅。駅から大学までは歩けば三十分以上かかります。私は喜志駅と大学の中間に流れる石川の近く、富田林市のワンルームマンションで一人暮らし。窓からは「横たわる女性の乳房」のような二上山が見えました。
     サークルは「落語研究寄席の会」、いわゆる落研に入部。近年、多くの人気芸人を輩出しているサークルです。  大学では、真面目に授業を受けたり、落語をしたり、映画を観たり、そして漫画を買い集め、読み漁る日々でした。
     私の漫画遍歴は藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐの作品から始まり、高校時代に吉田戦車『伝染るんです。』、中崎タツヤ『じみへん』を経て、大学で出会った友人たちの影響で「ガロ」系の作品に強く惹かれるようになりました。特に好きだったのは、滝田ゆう、つげ義春、つげ忠男、村野守美、川本コオ、赤瀬川原平、諸星大二郎、花輪和一、高野文子、とり・みき、杉浦日向子、ユズキカズ、泉昌之、唐沢なをき、タナカカツキ、いましろたかし、松本大洋、逆柱いみり、魚喃キリコなどなど。挙げていけばきりがないですが、数年前に断捨離で「まんだらけ」に売るまで、千冊以上の漫画がありました。
     一九九七年、大学院に進学した私は、塾講師のアルバイト代をすべて漫画や評論本に注ぎ込みました。北冬書房の『夜行』が好きで菅野修先生の漫画に衝撃を受けたり、しりあがり寿先生や久住昌之先生、森元暢之先生の原画や版画を買ったのもこの頃です。一枚五万円程しました。
     あの頃、分厚いホラー漫画雑誌があちこちから出ていて、どの雑誌にも犬木加奈子、御茶漬海苔のお二人は載っていました。私が好きだったのが、ぶんか社の『ホラーM』です。怪奇漫画の世界には、水木しげる、楳図かずお、古賀新一、日野日出志といった大御所がいて、さらに早見純、伊藤潤二、駕籠真太郎、華倫変といった作家たちも素晴らしい作品を描いていました。
     また、後に舞台でもご一緒することになる唐沢俊一さんの著作『森由岐子の世界』や『カルトホラー漫画秘宝館』を通じて、いわゆる「B級怪奇漫画」のちょっと変で、それでいて愛おしい独特の世界を知りました。ひばり書房のヒットコミックスや立風書房のレモンコミックス恐怖シリーズでは、いばら美喜、好美のぼる、さがみゆき、杉戸光史、川島のりかずなどが好きでした。昔は古書店で一冊百円、二百円で売っていました。それが今では数千円で取引されているので、びっくりです。他にも、糸井重里・湯村輝彦『完本 情熱のペンギンごはん』、根本敬『怪人無礼講ララバイ』、徳南晴一郎『怪談人間時計』などの作品にも強い衝撃を受けました。
     落研の一年先輩には、後にプロの漫画家となる藤本和也さんや長尾謙一郎さんがおり、周りでも、漫画を描いている人が多くいました。「私も漫画を描いて、同人誌を作り、一度コミケというものに出てみたい」と思い、ついに筆を執ることにしたのです。
     一九九八年二月のこと。一作も描いていないのですが、タイトルは大きく、『怪奇漫画全集』と決めました。初めて描いた作品は『地獄日和』。タイトルはおそらく、荒木経惟・荒木陽子の『東京日和』から取ったのでしょう。ケント紙、漫画用のペン、スクリーントーンを買ってきて描きました。セリフはワープロで印刷したものを切って貼りました。当然ですが、まだ生成AIなどなく、一人で最初から最後まで描き上げたのです。しかし、できた作品は、あまりに下手でした。絵の具を塗ったら多少ごまかせるんじゃないかと思い、カラー原稿に作り変えました。それをカラーコピーしてみると発色が良くなり、独特の「味」が出たのです。一部のコマは色を反転させたりしました。これをホッチキスで止めると、A5サイズの同人誌が完成したのです。
     続いて同年五月に二作目『ラブレター』、九月に三作目『吸血蚊』を描いて、私の短い「漫画家時代」は幕を閉じました。その後、「持ち込み」がしたくて、ぶんか社にアポを取り、東京へ向かいました。対応してくれた女性編集者から、どういう講評を受けたかは覚えていないのですが、私が「ぶんか社で働けていいですね」と言うと、「もっと大手に入りたかった」と返されたことだけを覚えています。結局、コミケには出なかったのですが、そんな折、藤本さんから「コミケに似たコミティアというのがある」と教えてもらい、彼の友人の山田参助さんがブースを出すというので、一緒に手伝いに行った時、自分の作品も置かせてもらいました。面識のない方が私の漫画を買って下さって、とても嬉しかったです。隣には山川直人さん、その隣にはこうの史代さんがいました。これが縁で、講談師になってから山川さんに手拭いのデザインをお願いすることになりました。
     十部制作し、一部は自分で保存し、藤本さんに一部プレゼント。コミティアで三部売れて、残り五部を中野の「タコシェ」で委託販売しました。カラーコピー代など、かかった制作費は一冊五百円。それを三百円で販売すると、すぐに売り切れました。奥付に記してあったのは、富田林の住所です。今回、久しぶりに見て、懐かしく思いました。三作目の『吸血蚊』は、えらいもので、一作目より絵は少しだけ上達しているのですが、物語が面白くなかったので収録しませんでした。
     あれから二十八年が経ち、私は漫画家ではなく、講談師として高座に上がっています。
     川崎ゆきお先生の『猟奇王』や、日野日出志先生の『蔵六の奇病』を講談化し、ご本人にお会いできたことや、二〇二三年、岩手で講談をした時、ご縁があって菅野修先生が聴きに来てくださったことは、人生の宝物です。
     かつて富田林の一室で、コツコツ描いた作品を、令和の時代に復刻したいと思いました。正直、拙い作品です。この漫画を読めば、学生時代の苦い思い出も蘇ります。それでも、「ラブレター」の最後のページでは、何度読んでも笑ってしまうのです。 (以下は本書でお楽しみ下さい)

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