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名残り(抜粋) メタセコイア第16号収載

  • B-35 (小説|純文学)
  • なごり
  • マチ晶
  • 2019/11/20(水)発行

  • (抜粋)

    リビングを歩き始めた。リビングの中央には地階から地上二階までの大きな吹き抜けの空間がある。白いらせんの階段が各階をつないでいる。らせん階段のステップを一階リビングから二十ばかり踏み下ると御影石を敷き詰めた円形の地下広間の真ん中に到着することになる。しかし、いまは地下へ降りるときではない。私は地階をちらっと見るとリビングをまっすぐ横切り、奥の書斎へ入ってデスクのキーボードをたたき始めた。しかし指はすぐに止まった。私はため息とともに窓の外に目をやる。三日月。
     深夜、私はらせん階段を下りて地下広間に出た。  広間からは通路が八方放射状に延びていて、通路ごとに床の彩色が違う。この日は黄色い通路に入った。照明のない薄暗闇のなか、前方のぼうっとした明かりを目指して足を踏み出すと、遠くから愛のバラードが聞こえて来たが、十歩ほど歩むと元の静寂に戻った。ぼうっとした明かりは仄かな波模様となり、左右の壁面にガラス張りの水槽が現れる。白い砂地を蔽(おお)い尽くす珊瑚たちは密やかに触手を開いている。思い出したように小さな泡が静かに舞い昇っていく他は、弛まぬ波の律動が感じられるだけだ。どうやら水中の住人たちは物陰で安息の時を過ごしているらしい。  水槽が途切れたところで通路も途切れ、ちょっとした石段を下るとゴシックな鉄扉に行き着く。扉を開けると、二十畳ほどの広さの、総コンクリート造りの部屋が現れる。四角い天井から青白い蛍光灯の光が降り注ぎ、遍く室内を照らし出す。部屋には、二つの大きなコンクリート水槽が半ば床に填め込まれた形で据えられている。双子のように同型だ。右手の水槽には水は入っていない。もう一方の水槽に近づき、私は中を確かめた。    薄く張られた水の中に彼女はいた。三十センチ足らずの平べったい体を水底に横たえて、じっと両目が私を捉えている。私は小さな水族館でカレイと友達になった。私は彼女を新聞紙に挿んで連れ歩いた。今、彼女は水槽の中だ。灰褐色の膚に斑点模様の宇宙が見える。隠微な白い腹は水底にピタッと接している。隣の水槽をもう一度見る。水槽は空(から)だ。  入り口と反対側、部屋の最も奥まったところに小さな通路口が見え、漆黒が口を開けている。

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