第2集「母親の人徳」には、母親のことを書いた作文を3編も掲載しました。衰えていく母親に直面し、どんどん追い詰められていった私。書くことで、そして、アールラボのオープンマイクで朗読することで、このしんどい時期を何とか過ごすことができました。
表題作「母親の人徳」 中学校でバレーボール部に入った私は、近くの史跡にボールを当ててパスの練習をしていました。すると、近くのおじさんに思いっきり怒られてしまいました。それから40年。私もそのおじさんも同じ銭湯に行くようになりました。おじさんは私のことなど覚えていません。でも、私は今でもはっきりと覚えています。同じ湯船に入っていたとき、私は思い切っておじさんに話しかけました。
「めいわくなデカビタおばさん」 年の暮れ、京都コンサートホールへ「第九」を聴きに行ったときのこと。わくわくしていた私の心をぶち壊したのは。
「誕生日プレゼントからわかった母親の人徳」 母親はなんとか88歳の誕生日を迎えることができました。母親がもらった3つプレゼントにそれぞれつけられていたメッセージカードを読んでいると、「人徳やなあ。」と思いました。
「恐怖のお稲荷さん」 京都伏見稲荷大社。私は節目節目にお山をします。(お山とは・・・山麓の御本社に近い峰から順に三ノ峰・二ノ峰・一ノ峰と称し、三ノ峰と二ノ峰の中程に間の峰、そして三ノ峰の北方に荒神峰がつらなっています。山中には、おびただしいお塚が群在し、参道には数千もの朱の鳥居が建ち並んでいます。稲荷山に登り、これらの神蹟やお塚を巡拝することを「お山する」といい、参詣の人は日夜あとをたちません。伏見稲荷大社HPより) 12月の早朝、真っ暗中お山していた私は血の気が引いた。
「ねこおじさん」 毎週土曜日の早朝、私は宝ヶ池の周りを走り、ストレッチをした後、紅茶を淹れます。そして、ラジオを聴きながらコンビニのメロンパンを食べ、ほっこりします。そうしていると、いつものおじさんがスポーツサイクルに乗ってやってきます。
「生存確認の自主申告」 母親の介護にとことんいらついていたときのことです。