「アルシャ。大丈夫だよ、アルシャをおとうさんにあわせてあげる」
日の光は、ひとつしかない採光用の天窓からそそぎこみ、女神の白い像をほのかな金色に照らしていた。西方でしか産出せぬ白い石に彫られているその像は、正確な作成年はわからないが、相当に古いものだ。女神の末のおとうとが降りたったという西の果ての国がまだ、他国と交流を途絶させていなかったころ――いまではその国がまだ存在しているか否かすら、だれもしらない――のなごりで、白い石の女神像をのこしている神殿は、ごくかぎられている。この像を拝むための遠方からの旅行者もおおい。
女神はその地――セレアラートではミシェカルダと呼ばれていた。北の果てにあるという天のきざはしのかなたの楽園に眠るという女神は、ゆたかな巻き毛を背にたらし、峻厳にも柔和にも見えるひらべったい表情で左手を胸にあて、地上のものたちを楽園へすくいとるために右手をのべていた。
さて、ここは、セレアラートのさる地の神殿だ。六角形の講堂の壁や天井には、神話画が黒い顔料の濃淡だけで緻密に描かれ、磨きあげられた琥珀色の床にはちりひとつない。
女神の像のまえに、ひとりの少女があった。黄色くくすんだ簡素なワンピースの裾からのびる小枝のような手足。栄養状態が悪いのか蒼白な顔にかかる黒い巻き毛はからまって艶がない。
おおきな瞳は、女神像を挑むようににらんでいた。
すぐに皮をむいてしまうひびわれたくちびるが、ちいさくうごく。
「うそつき」
女神に発したことを、だれかに――例えば、神官の耳に入りでもすれば悔恨を、肉体を痛めつけるというもっとも易い方法でもとめるような言葉。
神殿の連中はみな、死ねばこの女の待つ楽園に歓待されると信じているけれど、たったさんにんのきょうだいすら地上に追放したものが、軽々しく門扉をひらくはずがない。
この女の像をかこむ壁画には、かのじょが、たったさんにんのきょうだいすら楽園から追放したいきさつが描かれているのに、神殿の連中や参拝客は、死ねばこの女の待つ楽園に歓待されると信じ、熱心に、祈る。
少女は感情のかわいた黒い瞳を伏せる。
彼女は、神殿の経営する孤児院に暮らしていた。女神のいるという楽園に興味はなく、あったとしても、門扉の開かれることを信じられそうもない経典を日夜読み聞かされて、つねに神に祈ることを強いられている。
ここから脱するのに必要なのは、運だ。
その先がここよりましかどうか、ということも含めて、そのほかの要素はない。
足音が聞こえる。
この音は、女神よりも直接的に彼女に手を差しのべ、どこかへと引きあげるものの足音だ。
「おれの剣?」
「そうよ、いまはあなたの剣よ」
「これがあれば、おれも強くなれるかな」
「強くなるには、無茶をするのを我慢しなくちゃならないのよ」
「言ってる意味が、よく分からない」
2015年9月に文学フリマ大阪にて頒布した『幼神』と同世界観の物語です。
(こちらを読んでいなくても読めます)
既刊『ゆめのむすめ』とは無関係のお話です。
上・中・下三巻での刊行を予定しています。
冒頭一章のためし読みはこちらからどうぞ
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