横須賀文學會webサイトで公開中の『リシュケシュ箴言集』をフリーペーパーにして配布いたします。作成間に合わないかも南蛮。
特製しおりは渡せるので、とにかくブース(R21-22)でお待ちしております。
作品掲載ページ
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https://www.koirohikaru.com/entry/rishikesh
2020年、ニューデリーがロックダウンされる一週間前まで約4ヶ月にわたって滞在していたインド北部の町リシュケシュで、徒然なるままにiPhoneのメモアプリに書いていた言葉をアフォリズム集(箴言集)としてまとめたもの。
(本文より抜粋)
雑菌だらけの野良犬を平然と店内に受け入れるインドのカフェのような心を持ちたい。何かを受け入れるためには空っぽにならなければならない。空っぽになるためには中にあるものを全部放り出さなければならない。そうして何かを受け入れて満杯になったら、もう一度空っぽになるためにまた全部を放り出さなければならない。それを何回も繰り返してゆかなければならない。「悟り」とは一回きりのイベントではないのだ。悟りヅラしたアマチュアの修行者にそう伝える。
昔キャンプ場で過ごしていた時、入り口付近に大きく「Welcome!」と表示された立板を杭打ちした大きなテントがあった。入ってみたら中にものすごく排他的な男がいたことがある。あれはどういうことだったんだろう。
下半身不随で生まれた子猫はトカゲを捕まえていじめ、脚が三本しかない牛はゆっくりと静かに歩いて食べものを探し、足が一本しかない物乞いのおばさんは優しく笑い、七歳の頃に両親に死なれた男は毎日ガンガーに祈りを捧げ、飼っているウサギの動きを眺めてケラケラ笑う。 世界がどれだけ私たちを壊しにかかってきたとしても、 じっとしているうちに私たちは世界に癒やされる。
頭の中で勝手に想像している何万人、何億人を相手にするよりも、目の前に実在するひとりの人間を相手にすることの方がはるかに骨が折れる。
あなたが思うような「世界」など存在しない。存在するのは「無数の地元」だけだ。ここから見れば「横須賀市」は世界である。
己を知り、己が世界に負っているものの多さを知り、そうして謙虚さを身に付けることができた時、世界に対して抱く感謝の総量は、必ず世界に対して抱く憎悪の総量を凌ぐだろう。