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その日、私たちは牡蠣を食べた。

  • 第一展示場 | R-08 (小説|短編・掌編・ショートショート)
  • そのひ、わたしたちはかきをたべた。
  • 夏乃空
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 38ページ
  • 400円
  • 2023/11/11(土)発行
  • その日、私たちは牡蠣を食べたー

    主人公の冬真は夢破れて実家へ帰る、元女優志望。
    ちふゆはプロポーズを受けたばかりのレストラン勤務のサービススタッフ。
    全く違う世界を生きてきた二人が出会ったのは冬の牡蠣小屋。
    牡蠣を口にした「その日」は二人にとってどんな日なのか。

    人生の岐路になる「その日」のことを描いてみたい、と思って書き上げた連作短編四作目です。

    よろしくお願いします。

    冒頭試し読み📚
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    冬 冬真眞琴と須崎ちふゆの場合


    「あ、近付くと危ないですよ」

     興味深そうに覗き込もうとする彼女に声をかけた。

     身体を離した瞬間、プシュっと熱水が噴き出る。

    「もうすぐですから」

     網の上に並んだそれを、トングで突きながらそっと中を確認する。外の寒さを忘れるほど火の周りは暖かい。ざわめきや匂いが心地よく包んでくれる空間が心地よかった。

    「白くなったら食べどきです。あ、これ、もういけると思います。よかったら、最初だけ開けましょうか?」

     私がそう言うと彼女は顔をほころばせた。

    「さすが慣れてらっしゃいますね。お言葉に甘えます」

     軍手をはめた手で押さえながら隙間にナイフを差し込む。その様子を興味深そうにじっと見られる。私ももう随分ご無沙汰している作業なので少し緊張する。ぐっと力を入れてこじ開け、彼女の前のお皿に置く。気を遣って私を待ってくれているので急いで自分の分も用意する。

    「では、いただきましょうか」

     私たちは熱々のそれを口に運んだ。熱々の汁と共に、舌触りの良い表面が口に中に流れてくる。弾力のある身を噛み締めると独特の甘味と苦味が広がった。

    「んんんんー」

     その美味しさに言葉にならない思いが込み上げる。飲み込んでいくのを追いかけるように手元の日本酒で喉を潤す。

    「っふぁあああーー」

     幸せしか詰まっていないため息を吐き出して、私たちは顔を見合わせて笑った。

    「たまらないですね」

    「最高ですね」

     被った言葉は違えども思いは一緒だった。

     この美味しさは、これまでの私たちとの訣別の証なのだ。

    その日、私たちは牡蠣を食べた。


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