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逮夜を漕ぐ うずみ火 2019-2020

  • せ-10 (小説|純文学)
  • たいやをこぐ うずみび 2019ー2020
  • はりまみなと
  • 書籍|A5
  • 70ページ
  • 500円
  • 透析医療 × ソーシャルワーク × コロナ禍

    透析室で交わされる血流の音、皮膚の下を流れる毒素と生命。医療ソーシャルワーカーの結城怜央が制度と患者の間で立ち尽くす日々の傍らに、恋人・克也の身体は透析に耐えられなくなっていく。早期退院という病院の論理、透析を拒む患者、緩和ケア病棟に入れない終末期透析患者、そして愛する人の骨。専門職としての倫理と、ひとりの人間としての自我がせめぎ合う様を描く。「逮夜を漕ぐ」シリーズ、2019年夏から2020年春までを追うスピンオフ。


    冒頭サンプル……


     ひと吹きののちに白露はおもてを喪い、ひらかれて透析室に満ちていく。加湿による気層の密は濃度勾配に沿って分子がうつろい、ひろくほどかれていく機序は血液透析と似ていた。患者の頸部から伸びる透明な回路内を流れる暗赤色の血液もまた、内に溜めた毒素をひらかれている。内頸静脈に留置されたダブルルーメンカテーテルの脱血側から引き出された血液は、送血ポンプの圧力で人工腎臓へ向かい、中空糸膜を隔てた透析液とのあいだで拡散と限外濾過がなされ、浄化された血液が返血側から静脈へ戻っていく。その循環が「透析をまわす」と言わせるのだろうか、結城怜央は寝台に横たわる患者を見ながらぼんやりと思う。

    「打診先のお受入れ、大丈夫でしたよ」

     患者は「よかったぁ」と顔だけをこちらへ向けた。頸の右側から鎖骨上にかけてテープ固定されたカテーテルで大きく動かせない。

     宗像栄一、五十五歳、男性、三日前に胸痛を訴え救急搬送。冠動脈造影にて前下行枝の閉塞を認め、血行再建術が施行された。心筋梗塞は治療奏功も、術後から腎機能が急速に悪化。もともと軽度の腎機能低下を指摘されていたところへ、循環動態の悪化と造影剤の影響が重なり、腎機能は回復せずに維持透析の方針となった。

    「早ぉシャント作ってほしいわ、頸からこんなん出とぉの怖すぎ」

     彼の指先がテープの端を撫でた。血液透析は二百ミリリットル分前後の血液を体外へ引き出す。通常の静脈では流量を確保できず、動脈を直接穿刺すれば痛みが強く止血にも時間がかかる。そこで前腕の動脈と静脈を皮下でつなぎ合わせ、動脈圧が静脈側に伝わることで拡張と肥厚を得て、太い針でも穿刺しやすい血管を作る。これが内シャントだ。彼のように緊急で透析を要した場合、シャント造設を待つ間の橋渡しとしてカテーテルを留置するが、感染リスクや日常動作の制限から早期のシャント造設が望ましい。

    (まあ、うちの病院で作れたら一番いいんですけどね)

     手術枠は予定患者で埋まっている。当面は内頸静脈カテーテルのまま透析を続け、シャント造設から維持透析まで一貫して対応できる医療機関への転院を進めていた。

    「ただ、月水金の枠が今は埋まっているそうです。曜日を変えるか、来週の転院ですね」

     一日も早い退院を希望した彼は曜日変更に同意し、スマートフォンで妻に連絡を入れた。短いやりとりの後、「妻もいいって言うてます」と画面を見ながら報告してくれた。

    (話が早い人で良かったぁ)

     事前に報告していた主治医へ曜日変更の同意を、傍らで待機していた看護師に退院オーダーが入る旨を、最後に宗像栄一に「お大事に」と伝え、透析室を退室すると消毒液のにおいが薄れた。


    ※表紙、紹介文、冒頭サンプルは2026.7.30作成時点のものです


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