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逮夜を漕ぐ うずみ火 1972

  • せ-10 (小説|純文学)
  • たいやをこぐ うずみび1972
  • はりまみなと
  • 書籍|A5
  • 70ページ
  • 500円
  • 2026/9/13(日)発行
  • 透析医療 × 同和地区 × 1972年大阪

    灰の下にまだ火がある。新幹線工事で追われた土地で生まれ、母を腎不全で失い、父を自らの手で逝かせる線を引かれた人生。

    「逮夜を漕ぐ」シリーズ、1972年夏から冬を追うスピンオフ。


    冒頭サンプル……


     余花に見惚れていたと思えば今朝は走り雨に打たれ、午後には蒸し暑さが膚にまとわりついて息苦しい。夜になっても暑苦しい。斜敷きの盆ござの端で芝崎頼智は膝立ちのまま思案していた。「張れやぁ」と発破をかけるのは男振るいの若衆らで、雨戸を閉め切った六畳は紫煙と安酒に体臭が混ざり、天井に溜まっていた。

     胴元の口上に差し出された紙幣は折れ、丸まり、皺だらけだ。裸電球が揺れずに場を照らしている。和紙を幾重にも重ねて打った札の厚みは均一で、指腹が感知できるのは、繊維の微細な凹凸が皮膚の隆線を擦る抵抗と、紙が体温をわずかに奪っていく速度だけだ。めくれた先端が、指紋の谷間に引っかかる。

    (三、五.もう一枚)

     斜め向かいから笑い声が上がった。三十前の男が、隣に座る女の襟元に手を差し入れて、豊かな胸を鷲掴みにしているのだった。女は「もう、タキジ」と品を作って笑っている。払いのける気のない手つきは場の男たちを囃し立てた。

    「見せたれ見せたれ」

    「張るもんちゃうやろし」

     下卑た笑いのさ中、胴元だけが無表情のまま次の札を手に取った。タキジは煙草を口の端に咥えたまま金を積み上げる。勝っているのだ。隣のアヅは頬を上気させて場を見回し、目が合うと「張りやぁ」と崩れた襟元から白い胸を覗かせていた。

     タキジが歌い出した。

     

     あいつどこのがきや 見たようながきや

     見やんがきなら はりとばす コイコイ

     

    「やかましいわ」と負けた男が言い、また笑いになる。

    「引く」と言えば胴元がめくる。三、五、六、合わせて十四、一の位は四。弱い。黙って金を引き取られ、タキジがまた歌う。

    「破れ障子とあいつの顔は」顔を上げ、目が合った。「見れば見るほど」一拍置いて、低く続けた。

    「はりとなる、コイコイ」

     タキジが口の端で笑った。アヅが「うまいわぁ」と手を叩く拍子に襟元がさらに崩れ、また場がどよめいた。

    「へへぇ、張った張ったぁ」

     胴元の声が場を引き戻す。男たちは笑いを引きずりながら金を出し、渉も皺の伸びきらない札を前へ押した。負けた感触よりも、タキジの破顔とアヅの白い胸が頭の隅に残った。

     外で見張りが咳払いをした。

    「網落ちや」

     六畳が一瞬で沸騰した。金を掴む手、札を隠す手、立ち上がる膝、倒れる酒瓶。胴元はすでに盆ござを丸めている。誰かが裸電球を消した。暗闇の中で舌打ちと息と体がぶつかり合い、雨戸とは反対側の板戸が蹴破られるようにして開いた。


    ※表紙、紹介文、冒頭サンプルは2026.7.30作成時点のものです


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