酷く取り乱していた。
夜半の山中である。道はない。がさがさと音を立て、草木を掻き分け進んでいる。
ぼろり、
ぼろり、
両目から大粒の涙を零しながら、せめて泣き声をあげぬよう、歯を食いしばって歩いている。怒りとも悲しみともつかぬ思いが、幼い身の内をどろどろと、とぐろを巻いて巡っていた。
夏の終わりの頃のこと。周辺の山々には、既に涼やかな風が吹いていた。月は出ていたはずだが、鬱蒼と繁る木々に覆われて、光は片鱗も見当たらぬ。
夜目が効くからと、提灯も持たずに出かけたのがまずかった。
幾度も転倒したために、既に衣は泥まみれ、襟元はすっかりはだけてしまって、あらわになった右肩に、夜露に濡れた葉が落ちた。鋭い枝にあちこち引っかかれ、ようやく肉のついてきた手にも足にも、少なからぬ傷ができている。
前方から、かさりと何かの跳ねる音。思わず肩をびくつかせ、足を止めて、彼は「待って」とかすれた声で懇願した。音の主は聞く耳も持たず、あっという間に遠のいてしまう。霊力を持たぬ大抵の獣は、彼を恐れて逃げてしまうのだ。兎のように小さなものから、熊のように大きなものまで、例外なく。それが彼らの本能なのだと、教えてくれた人がいた。
──獣達がおまえを恐れ、道を譲ってくれるからこそ、おまえ自身は恐怖に煩わされることなく、山中を進めるのだよ。
善意でもって語られた言葉で、彼は懸命に納得しようとした。けれども、こんな夜には、──手酷い裏切りを受け、心を切り裂かれたかのような痛みに喘ぐ夜には、慰めの言葉など何の役にも立ちはしない。
とにかく、この暗闇から抜け出さなければ。そう考えて闇雲に、手探りしながら先へと進んでいく。だがしばらく行ったところで、彼の足は虚を踏んだ。
段差があるのに気づかなかった。咄嗟に腕で空を掻いたが、掴めるものはなにもない。
永遠かとさえ思えるほど、長い距離を落ちた気がした。
足から落ちたか、胴から落ちたか。右も左も、天も地も判ぜぬまま地面に投げ出された身体が、ずきずきと鈍い痛みを訴える。呻き声をあげながら、恐る恐る目を開いた彼はしかし、ほっと小さな溜息を吐いた。
月の光が見えていた。転落したことで、少なくとも、鬱蒼と草葉の繁る場所からは抜け出すことができたらしい。
己の首元に手を伸ばし、祟り封じの肌守りがあることを確認する。痛みをこらえて身体を起こし、己の手足へ視線を落とした。成長途中の痩せた身体。月明かりに照らされた腕には夏毛が生え揃い、破れて垂れた衣服の内には、鹿の子斑が見えている。
奥歯を噛み締め、地面へと視線を落とせば──そこに、二条の影が伸びていた。
枝状にすらりと天へ伸びる、彼の頭部に生えた、二条の角の影が。
十年前。山護たる神鹿の棲まいし仁駱山で、人は大きな罪を犯した。老いて転命のための眠りについた神鹿を、その加護を手中に収めんとする一族が屠ったのだ。神鹿の肉を食らった女は肚に神の子を宿し、一族の繁栄は約束されたとばかりに、人々は喜んだ。しかし──、人の肚から産まれたのは、堕ちた神鹿の祟りを継いだ、災厄を呼ぶ異形の子でしかなかった。