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寛大なる歌うたい

  • 南3-4ホール | い-59 (小説|ファンタジー・幻想文学)
  • かんだいなるうたうたい
  • 遠野みづき
  • 書籍|B6
  • 52ページ
  • 300円
  • https://www.pixiv.net/novel/s…
  • 2018/8/11(土)発行
  •  あるところに歌と踊りがとても上手な男がいました。彼は大きな劇団に入り、その舞台で人々の喝采を浴びるのが夢でしたが、常に裏方でした。その理由は、彼の顔がとても滑稽だったからなのでした。ある日、彼は失敗をして劇団を辞めてしまいます。たどり着いた酒場で出会った怪しげな紳士に「美しさを与えよう」と持ちかけられますが、その代償は『決して子を生さないこと』でした……。
    【※表紙の紙の種類が見本と違う場合があります】




    寛大なる歌うたい

     少しむかしのおはなしです。あるところにひとりの歌うたいがおりました。彼の歌声はとてもすてきでした。どこまでも高く低く、時に優雅に時に激しく、どんな歌も歌いこなせる朗々とした声は人々の耳に美しく響くのでした。彼は歌だけでなく踊りもすばらしいものでした。蝶がたゆたうようにゆっくりと舞うかと思えば、小鳥のごとくすばやく切れのある身のこなしもできました。
     彼の夢は一流の歌い手と踊り手になることでした。その夢をかなえるために、彼は故郷を出て大きな町の有名な劇団に入り、歌声と踊りの技を磨き続けました。
     けれども、歌うたいはその才能を舞台の上で発揮できませんでした。彼はいつも舞台の幕の裏で歌っていました。他の役者たちのようにきらびやかな衣装を着て舞台の真ん中で台詞を言い、踊ったり歌ったりすることは決してありませんでした。
     なぜならそれは、彼の顔が醜かったからでした。背もほどほど、太りすぎても痩せすぎてもいないひきしまった体つきでしたが、その鼻筋は曲がって赤く腫れ、あごもゆがんで歯並びも乱れていました。それでいてその目元は優しく涼しげで釣り合いが悪く、見た人が思わず浮かんだ笑いをかみ殺すような、ひどく滑稽な顔つきなのでした。世にも恐ろしい、醜いとまではいきませんが、とても主役はできませんでした。
     顔をおしろいで塗りたくった道化として、人々を笑わせる役なら舞台に立てましたが、それは彼の望みではありませんでした。道化だってすばらしい芸なのは承知でしたが、歌はおろか、一言の台詞も踊りもないのは彼の才能を生かしているとはいえませんでした。
     美しい役者たちは醜い歌うたいをあからさまにさげすんで軽んじました。もともと美しい彼らは、自分の美は天から与えられた祝福で、醜い者は何か悪事をした報いなのだとさえ思っていました。演者の中で歌うたいは一段も二段も低く見られ、使い走りのように扱われることもしょっちゅうでした。それでも歌うたいが劇団に居続けたのは、花形役者の歌声を彼が当てていたからでした。
     劇団に入ったばかりの彼は、その容姿のせいで裏方に回されていました。そしてまた入ったばかりの見習いだった花形役者と出会いました。
     その頃から見目麗しい美青年の彼でしたが、歌はからきし駄目でした。声の質が似ている歌うたいに目をつけた花形役者は劇団の団長に頼み込み、自分専属の歌い手にしたのです。
     団長は、美形の役者が歌えればもっとお客を呼べますから願ったり叶ったりです。団員たちには誓約書を書かせて秘密を守るように厳しく言いつけました。
     花形役者は最初のうちは歌うたいと仲良くして、その声と声の持ち主に敬意を払ってくれました。しかし、売れっ子になるにつれ、彼の態度は少しずつよそよそしく変わっていきました。今では歌合せの時ぐらいしか顔を合わせないようになり、こちらを疎ましく思っているのがうすうすわかりました。
     歌うたいはそれをさびしく思いつつ、彼のおかげでこの華やかな世界に居られるのだと感謝し、鍛錬を欠かしませんでした。
     華やかな役者たちの影で働く舞台裏の者たちは彼の練習をよく見かけていました。歌うたいは裏方仕事の経験もあり、彼らとよく接してその苦労を知っていたので、演者にまわっても彼らの技術を尊敬し、感謝を忘れませんでした。なので、歌うたいは裏方たちからは慕われていました。
     裏方たちは、あんなに美しく歌えて踊れるのに、こんな扱いをされるなんて現実の悲劇だと嘆きました。そして、役者たちが歌うたいを馬鹿にするのは、彼の歌のすばらしさに嫉妬しているからだ、と慰めました。歌うたいはそれを本気にはしませんでしたが、そのいたわりは支えになりました。それでも毎日容姿をけなされ、見下されるのはつらいことでした。
     どうやっても手に入れられない美しさを持つ人々を毎日眺めながら、彼は狂おしいほどの願望を深く心に沈めて、代わりに歌う喜びで己を満たそうとしていました。舞台に立ちながら、観客は誰も彼を知らないまま時は過ぎ、そのみずみずしい若さは盛りを過ぎていました。

       *   *   *

     ある日、歌うたいは広い練習室で本番前の歌の下稽古をしていました。すると花形役者がやってきてこう言いました。
    「今日は私の大事なお客さまが見に来るんだ。とても大金持ちの商家のご令嬢でね、私を大いに気に入ってくださってるんだ。だから、今日は特別心を込めて歌っておくれ。彼女に、君のために歌うと文を送ってあるんだよ」
     人気のある花形役者はこれまでにたくさんの女性と浮名を流していて、いい年でしたが身を固める気はまだありませんでした。
    「そうかい、わかったよ」
     歌うたいは微笑んでうなずきました。彼は人の不幸より幸せを願う性分でしたから、花形役者とその令嬢がうまくいって落ち着けばよいと素直に思っていたのでした。
     花形役者は一瞬顔をしかめましたが、すぐに明るいいつもの表情に戻りました。そして胸元につけた大きなエメラルドのブローチを指し示しました。
    「これ、彼女が贈ってくれたのさ。カフスボタンもそろいでね」
     両の袖口にもきらりと緑の宝石が輝きました。
    「すごいね。かなりのものだ」
    「ああ。今まででいちばんの金持ちだよ。頭の回転もいい。でも貴族みたいにお高く留まっていないし、気立てのいい子だよ」
    「恋多き君が、やっと結婚を決めるのかい」
     花形役者は腕組みをして、うーんとうなりました。
    「でも、彼女は美人じゃないんだよねえ。子供を持つことを考えたら結婚はなしだ。僕の子は僕と同じかそれ以上に美しい子であってほしい。そして役者に育てるんだ」
    「それが君の夢かい」
    「まあね。それで、この宝石のお礼に『君のために愛の歌を捧げる』って文に書いたんだ。その合図を歌の前に彼女にするから、少しだけ歌い出しをずらしてほしいんだ。終盤の、独唱のところだよ」
     歌うたいは少し考え込みました。
    「責任重大だな。できるだろうか」
    「おいおい、不安にさせないでくれよ」
     花形役者は大げさな困り顔を作って見せました。歌うたいは笑って返しました。
    「冗談、冗談だよ」
     二人は笑いました。こんなふうに話すのは久しぶりだな、と歌うたいはうれしくなりました。
    「どんな合図を送るんだい」
    「こうさ」
     花形役者は胸のエメラルドのブローチのあたりに手をやり、そこから右手の指先をさりげなく唇にかすめて、優雅に腕を伸ばしました。袖のカフスがきらりと光りました。贈った女性がこれを見たら喜びで胸がいっぱいになるでしょう。彼は大きく息を吸いました。次に吐くのに合わせて、歌うたいは歌の出だしの音を張り上げました。
    「うん、頃合はばっちりだ。さすがだよ」
     花形役者は満足そうにうなずきました。
    「さりげない投げキッスか。彼女にはもう、君しか見えないだろうね」
    「ははは。じゃあ、今度は見ないで合わせてみよう」
     何度か練習をした後、機嫌よく片手をふって花形役者は去っていきました。歌うたいはむかしに戻ったような気がして心が浮き立ちました。ふと足元を見ると、緑色のかけらが光っています。拾いあげるとそれはエメラルドのカフスボタンでした。
    「せっかくの贈り物を落とすなんて」
     歌うたいはカフスボタンを持って彼専用の楽屋へ向かいました。その途中、他の役者たちの控え室の前を通りすぎました。扉は閉まりきっていなくて、中の声がもれ聞こえてきました。
    「あの面白顔の微笑みの気色悪さ! あの顔を見ると神はなんて残酷なんだと悲しくなるね。私なら耐えられずに死を選ぶよ」
     花形役者の声でした。歌うたいの足が止まりました。胸の奥がひやっとして震え、苦しくなりました。顔の筋肉が緩んで表情が消えるのがわかりました。
    「ひどい言い草だな。そんなあいつに頼っているのは君だろう」
     からかうように別の役者が言いました。
    「そこなんだ。新人の頃は歌を何とかしないと舞台に立てなかったから仕方なかったけれど、名も顔も売れた今なら、歌わなくてもやっていけると思うんだ。喉を傷めて歌を封印、てことにしてね。そろそろ経営のほうに回りたいと思ってるし、もうあいつとは縁を切りたいよ」
     歌うたいはそっと扉から遠ざかり、足音を立てないようにして花形役者の楽屋へ入ると、化粧道具などがごちゃごちゃ置かれた鏡台にカフスボタンを置きました。手が震えて、置く音がことり、とやけに大きく響いたような気がしました。
     顔を上げると、間抜けな顔の青ざめた男が鏡に映っていました。歌うたいは息をつきました。


    サンプルはここまでです。
    ピクシブにはもう少し長く載せています。

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