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Detour Ahead 迂回ルート

  • い-59〜60 (小説|エンタメ・大衆小説)
  • うかいるーと
  • Ichigo
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 80ページ
  • 600円
  • 2024/12/1(日)発行
  • ■Detour Ahead 迂回ルート Ichigo

    一凪        ………………………………………………………………5
    記録係のマモルくん ………………………………………………………………13
    月をあおぐ     ………………………………………………………………27
    午後三時のジョアン ………………………………………………………………43
    ワンダーウォール  ………………………………………………………………53


    ■ワンダーウォール


     覗いてはいけない。  
     お互い顔は知らない。そういうことになっている。
     僕は右手だけを差し出す。差し招いて、引っ込める。
     客は壁に開いた穴に入れる
     僕は穴のこちら側で待っている
     
     いろいろな形のものがある。
     小さいもの、大きいもの。
     皮を被ったもの、被っていないもの。  
     膨張したもの、縮みあがったもの。
     
     客の準備が出来たのを待って、僕は手袋をはめる。ぴたっとしたプラスチックグローブ。クリーム色。
     客はどちらかを選ぶ。客自らが避妊具をつけるか、僕が手袋をつけるか。
     たいていの客は避妊具をつけたがらないし、僕にとっても、避妊具をつけた客をいかせるほうが難しい。

     こちら側の壁はつるりとしたリノリウムのような素材になっている。昔は白い壁だったのだと思う。今は薄だいだい色と茶色の入り交じったみたいな色になっている。下に行くほど色が複雑化する。壁際にパイプ椅子を寄せている。僕の頭の位置には世界地図のウォールステッカーがある。誰がそんなものを貼ったのだろう。
     黒いステッカー。デフォルメされた五大陸がひとつひとつシール状になっている。残念ながら日本は見当たらない。ステッカーのデザインの段階でユーラシア大陸の一部に吸収されたのか、すでに剥がれて落ちたのか。
     僕が壁に耳を付けると、ちょうどオーストラリアのあたりで耳を澄ますことになる。南極のもうちょっと下あたりに穴が位置する。

     坂田さんは常連さんだ。営業の合間にやってくる。アキくん、と僕に呼びかける。僕が男だということを知っている。壁越しに坂田さんは喋る。僕が聞いていても聞いていなくても関係ないのかもしれないけど、やっぱり聞いて欲しいものなんだろうと思う。

     納期が短縮されて、坂田さんは現場から怒られる。現場の苦労なんて何にも分かっちゃいないって。でもその案件を取らないわけにいかないし。現場の担当者は美人だけど目がキツい、親会社の受付の子は可愛くて、一回やりたい。一回やったら興味をなくしそう。でも一回やりたい。

     温めておいたローションを手袋の上に垂らす。坂田さんの性器は八割方出来上がっている。僕がローションをつけた手で上下にこすってあげると完全に立ち上がる。
     はじめは先端の方だけを刺激する。ネットで調べた知識に指導と経験が加わっただけのことだ。たっぷりローションをつかって優しく刺激する。
     穴の周りにはグレーのゴムが貼ってある。ぶつかったり擦ったりしても痛くない。グレーって色は一番汚れが目立たないかもなって思う。

     あえぎ声が大きくてよく喋る。坂田さんはそういうタイプのお客さんだった。
     実況してくれるのは、分かりやすくていい。たまに女の子の名前を呼ぶ。僕はオーストラリアに左耳をくっつけながら、南アメリカ大陸の、ステッカーが剥がれかけてちょっと壁から浮かんでしまったところを見つめる。きっとアルゼンチンとチリの先っぽ。
     いく、とか。最高だとか。いい、とか。坂田さんは騒がしくも礼儀正しく上り詰める。
     穴から突き出した坂田さんの性器から白いインクがほとばしる。僕はそいつを浴びてしまわないようにだけ、気をつける。
     床にはペット用のトイレシートが並べてあって、大縄跳びの縄がよじれて落ちるみたいな射精を受け止める。  穴から千円札がねじ込まれる。今日は三枚。右手から手袋を外し、急いで受け取る。落とすと精液まみれになる。
     お札を受け渡すときに、僕と坂田さんの手がわずかに触れ合う。
     「会社に戻って起案書やっつけるかなあ」
     壁の向こう側、備え付けの洗面台で、坂田さんが身支度を調えている水音。
     正午から夕方六時か七時まで。僕の好きなシフト。そんな時間に客が来るのかと思うけど、来る。
     鬱憤だかストレスだかを僕の手で抜き落として、坂田さんはオフィスに帰っていく。
     「また来てくださいね」
     僕は伝える。存外本気だ。坂田さんは良客だ。
     「うん。何だか普通のセックスに戻れないんじゃないかって、不安になるよ」
     普通のセックスは自分だけ快楽を貪るわけにいかないし、自慰はむなしくなる。だから坂田さんはここへ来る。  坂田さんは僕よりいくつか年上。この建物を出てしまえば、坂田さんは感じの良い営業の坂田さんに戻る。もっとも坂田さんは穴に突っ込んでいるときも悪い感じではない。だけど、こういう人ほど、女の子には高圧的になったりするのかな。

     僕は床のペットトイレシートを蓋付きの大きなゴミ箱に捨てる。手袋を捨てる。アルコール消毒剤と消臭スプレーはミントの香り。
     世界地図と反対側にあるモニターを確認すると、坂田さんは壁の向こうのブースから出て行くところだった。  このモニターで映すと何でもホラー映画のように見えていやだ。ノイズが入って乱れるモノクロの画像。あまり見ないようにしている。お客さんが入るときと出るときだけは確認する。
     時給二千六百九十円。安いと思うか高いと思うか。歩合制でなくて、有り難いと言えるのかどうか。たまにチップをもらえると嬉しい。
     オーナーがやって来て、夜の八時まで勤務を延長できないかと聞く。僕はオーケーする。
     いつも尿を漏らす客がやって来る。出禁にしてやりたい。だけどチップは多額だ。おかあさん、と彼は呻く。おかあさんおかあさんと呼びながら客は果てる。


     午後七時五十六分、尿臭たちこめる小部屋のドア前にミオが立っていた。
     僕はドアを開け放って掃除をしていた。客側のブースは掃除係が片付けてくれる。こちら側は自己責任だ。もともと僕は掃除係で雇われた。
     ぱさぱさとした緑色に近い傷んだ毛先。マスクとニット帽。キルティングのジャケット。猫背で愛想が悪くぱっとしない、ミオはそんな印象の女の子だった。
     六番ブースの案内の液晶は、アキからミオに切り替わる。本人たちとは似ても似つかない萌える笑顔のイラストが誘ってくれる。
     ここ一ヶ月ほどだろうか、僕の次にミオが入る。そういうシフトになっている。
     僕はミオに臭いのことを謝る。僕の責任じゃないし、そもそも遅れてきたのはミオだ。あの客のことを知っていて遅れてきたのかと疑心暗鬼にもなる。
     
     ミオは目を合わせず頷いた。マスクのせいで表情は分からない。膨れ上がったバックパックを小部屋の片隅のソファの上に置いた。
     ビニールシートがところどころ破けている、座った太腿の後ろに何かが張り付きそうな、胸塞ぐ感じのソファ。ミオはそこに倒れ込むように座り、穴をにらみつけた。
     僕は電気ポットに水を継ぎ足した。この湯でローションを湯煎する。そのまま帰ってしまってもよかったのだけど。
     「何時までなの?」
     ミオは何時まで働くのだろう。
     「六時」  
     かすれた声で彼女は答えた。
     「風邪ひいてるの?」
     ミオと、ほとんど言葉を交わしたことはない。
     「ひいてない」

     午前六時に従業員用の鉄扉を開けると、高い確率でネズミに出くわす。太っていて凶 暴そうなネズミ。
     たまに脚のきれいな女の子が死にそうな勢いで吐いている。
     でも死んでない。
     高そうなスーツを着た若い男が花束に向かって唾を吐いていることもある。
     午前六時、この街はいちばん物悲しい素顔を晒す。
     僕もたまにそのシフトに入る。労働の後の爽やかさなんて皆無だ。
     ホラー映画風モニターが来客を告げていた。
     ミオはジャケットを脱いだ。黒いタートルネック。意外にがっしりと骨張った肩と折れ そうに細い手首。
     僕は後ろ手にドアを閉めた。
     


     < 続く >

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