あらすじ
桜川朱莉(さくらがわ あかり)は都内の高校へ進学するために、一度も会ったことのないおじさんの家に居候することになる。しかし単身上京してから、おじさんが元組長だったことを知る。今では堅気だと自称し、保護者として朱莉を溺愛するおじさんではあるが、その背中には鮮やかな鯉の刺青が入っていた。
「ねえ、門限ならわかるけど……六時になったら絶海(ぜっかい)さんが迎えにくるってどういうこと?」
「そのままの意味だ。私がきみを迎えに行く。きみがどこにいようともな」
「怖すぎるんだけど……」
東京日本橋を舞台に、佐渡島出身の女子高生と元ヤクザのおじさんが繰り広げる青春コメディー。
※エブリスタ×宝島社『この文庫がすごい!』大賞最終候補作を加筆修正した内容となっております。
冒頭
「もう大丈夫だ、朱莉あかり」『彼』の声に恐る恐る目を開けると、私を囲んでいた三人の男は地面に伏(ふ)せていた。
私はトランクケースからそっと立ち上がり、一番近くに転がっている男の肩をつま先でそっと、つついてみる。それでも男は起きそうにない。離れたところに転がっている他の二人も同じく意識を失っているようだ。先ほどまで彼らに囲まれていた私を無視して通りすぎていた無慈悲(むじひ)な雑踏(ざっとう)は、倒れた彼らのことも無視して通りすぎていく。遠くで繰り返されるアナウンスのように、『昏倒し(こんとう)ている男三人』という異常事態さえ、この東京駅ではノイズとして処理されてしまうらしい。
そこまで確認してから、私は『ほ』と息をこぼしてしまった。意識がない人を目の前にしてよくないことだと思うけれど、それでも私は心底安堵(あんど)してしまった。
そのぐらいこの男三人に囲まれているのは、怖かったのだ。
額の(ひたい)冷や汗をぬぐい、もう一度ため息をつくと、目の前の『彼』が顔をのぞきこんできた。
「怪我(けが)はないか?」
『彼』は私より頭二つ分は背が高いようだ。恰幅も(かっぷく)よく、身に着けている真っ黒な着物が異様なまでに似合っている。お香のような良い匂いがして、男性とは思えないほど綺麗な肌に、整えられた眉、黒目がちな垂れ目、高い鼻、口角のあがった唇が完璧に配置されている。三十代に見えるけれど、泰然と(たいぜん)した態度からはもっと年上のようにも感じられた。いっそ『死神だ』と言われた方が納得できる。そのぐらい現実味がない美しさだ。仮に一度でも見かけたことがあったら、絶対に忘れられないだろう。
しかし私は『彼』に全く覚えがなかった。その一方で、『彼』は私の名前(朱莉)を知っている。
「……もしかして、……あなたが、私の……『おじさん』ですか?」
私の問いかけに、彼は身内特有の気安い微笑みを浮かべた。
「そうだ。だが、絶海と(ぜっかい)呼んでくれ」
「……絶海さん」
「絶海でいい」
さすがに呼び捨てはと断ろうとした瞬間、足元に転がっていた男がわずかに肩を動かした。その男の手にキラと光るなにかがあると思ったときには、既に絶海さんの長い足が男の後頭部を踏みつけていた。『ア』と思った時には絶海さんの脚が再度持ち上げられ、男のうなじに落ちる。『ガツン』とおおよそ人体が奏でてはいけない音を立てて再び意識を失った男の手から、ナイフがこぼれ、床を滑っていった。
一瞬の出来事に呆けたままナイフの行方を追っていると、不意に、視界に影が落ちた。
「え?」
彼が、私に、手を伸ばしていた。大きなその手に、暴力の気配を感じて目を閉じる。『私も殴られるの?』と混乱していると、彼のかさついた冷たい手は、私の顔をすくいあげるように包んできた。それどころか、彼は私の頬を、無遠慮に押しつぶす。
恐る恐る目を開くと、彼はいたずらっ子のように笑っていた。
「おにぎり」
「……はい……?」
とても機嫌良さそうな彼に頬をムニムニされながら『どうしてこんなことになったのかしら』と、私はこれまでのことを走馬灯のように思い返していた。