2022年5月29日、『G-W-G(minus)』06号刊行。特集は「階級と文学」。ブルジョワ道徳の治安維持の下、階級闘争はSDGsへと頽落した。文学はふたたびその「敵」となりうるか。小泉義之氏との座談会の他、近現代の文学と「階級」をめぐる論考を掲載。編集委員:位田将司、立尾真士、宮澤隆義
目次
◆巻頭言
◆座談会:「階級」への懐疑 小泉義之・位田将司・立尾真士・宮澤隆義
今日、非―和解的な階級闘争は可能か。小泉義之氏を迎え、ウーバー、SDGs、GAFA、ケア、天皇制などを支える超越論と経験論の相互汚染関係、そしてブルジョワ道徳に抗する物質的基盤と労働(力)について大いに議論した、唯物論的座談会。
論考
◆「四人称」という「階級」――横光利一「純粋小説論」の浪曼主義 位田将司
横光利一の「純粋小説論」は、保田與重郎の浪曼主義と理論的並行関係にある。それは「転向」以降の「前衛」を代補するための一つの理論的手段であり、「四人称」は「プロレタリアート」を代補し、あるいは保田の「後鳥羽院」や「ナポレオン」という「綜合人」とも重なり合い始める。
◆闘争の庭――階級、フェミニズム、文学 住本麻子
宮本百合子の『二つの庭』は『伸子』の続編であり『道標』へと続く過渡期的な作品である。『伸子』のフェミニズム的テーマから階級移行へと向かう伸子の内部で起こった変化とはどのようなものだったか。シスターフッド的連帯の前に立ちはだかる闘争としての同性愛に着目する。
◆「社交」を包囲する「かす」――大岡昇平『酸素』論 立尾真士
大岡昇平『酸素』で描かれる1940年の「政治」は資本―国家の「熔接」のもと、階級闘争を無化する。一方で、「熔接」の象徴たる酸素製造機は「かす」の破壊活動によって故障をくり返す。ついに「未完」に終わった『酸素』において、ブルジョアの「社交」は「かす」たちに包囲されている。
◆四つの主人を持つアルレッキーノ――花田清輝の函数的情動について 橋口祐樹
花田清輝のdésertは「マルクスのとは違う」図式で描かれた、砦のごとき「無人」の防衛線だったはずである。そして芸術総合化論は、その漂流者的小説の書き手による四つの様態のことではないか。四方域を彷徨う道化のテクスト、そしてその小説と批評を貫く下意識―無意識的力学を論ずる。
◆「川口大三郎」から「少年」へ――続・中島梓の「少年」 照山もみじ
前号に引き続き、「川口君事件」と中島梓の「少年」との関連について検討する。本稿では、「少年派宣言」と同時に『COMIC JUN』創刊号誌上に掲載された小説「少年」を取り上げ、「川口君事件」の衝撃から見出された「少年」を、中島がどのように作品化しているかを分析している。
◆埴谷・吉本論争と大岡昇平『成城だより』――三つの時間性(テンポラリティ)から 宮澤隆義
埴谷・吉本論争は、85年当時嘲笑とともに語られもしたが、「階級」が語られない今日的な状況と地続きの論議をしている。吉本の「大衆」や「現在」、或いは埴谷の「永遠」や秘めたる可能世界論に、大岡昇平『成城だより』を対置することで、三者の間で争われていたものを浮かび上がらせる。
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