フランス文学研究者の郷原佳以氏を迎え、ブランショやデリダのエクリチュール、テクノロジーとインヴェンション、そして脱構築と資本など、「文学」や「哲学」の「物語」から間隔/ディスタンスを取った議論を密に展開した。
◆森鷗外『かのやうに』の Als Ob――天皇(制)なるものの invention 位田将司
「かのやうに」は代表制と天皇(制)とを「弥縫」するような妥協=折衷ではなく、「発明」と「破壊」をもたらすエクリチュールである。鷗外はその「危険」な「代補」を、ファイヒンガーの『Als Obの哲学』から横領し、天皇(制)をめぐる「神話」と「歴史」の〈起源〉へと迫ろうとする。
◆「黒髪」という額縁(パレルゴン)――大岡昇平「黒髪」論 宮澤隆義
1930年代における「転向」と所謂「文芸復興」の時期、小林秀雄は「私小説論」で活字上における「私」の「蘇生」を語った。それに対し、「私小説」はジャーナリズムの要請で生まれたに過ぎないとも述べる大岡昇平はどの様に応接していったか。スタンダール論と小説「黒髪」を読みつつ辿る。
◆「おこりそうなことはすべてリアルなのです」――中村光夫の批評と小説 立尾真士
中村光夫『フロオベルとモウパッサン』が抽出した「青春」は、言文一致に潜在する「耳障り」―『二葉亭四迷伝』―、さらに「告白」の根源的な二重性―「『わが性の白書』」―へと接がれる。「おこりそうなこと」としての「リアル」を形成するそれらは、天皇/制の「間隙」を押しひろげる。
◆返歌・深沢七郎「風流夢譚」を読み返す ヒカリクラブ
2019年「表現の不自由展」中止事件にも見られた天皇制議論の忌避は、「風流夢譚」事件に始まると言ってよい。ならば、「風流夢譚」を読み返し、今なおわれわれを規定する「天皇の無意識」を問い直すべきだろう。たとえ深沢のようにそれに「ゴ機嫌」になってでも、である。
◆疎外者(アウトサイダー)の自己幻想――中島梓の「少年」 照山もみじ
中島梓は、なぜ「ヤオイ」を「階級闘争」になぞらえたのか。そこには、彼女が目撃した「川口君事件」を巡る記憶が関わっている。本稿では、中島の「ヤオイ」の核心に、「階級闘争」の「暴力」に巻き込まれた「少年」の死をいかに語るかという問いがあったことを明らかにする。
◆補遺 オニにも大悪人にもなれなかった小心者――太田俊夫の回顧談から見るワルツの破綻 山下雄司
丹羽文雄の義弟である直木賞候補作家、太田俊夫。彼が経営したカメラ・用品企業ワルツ社とオリンパスの代理店問題の顛末、破綻過程の新事実、太田によるヤシカ創業者牛山善政評を、対談や回顧記事など新たに発見した資料をもとに再考する。本誌創刊号掲載稿の補遺。こちらのブースもいかがですか? (β)
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