祖父母の遺した家でどう暮らす?
「家」と「わたし」のいい塩梅を探る
15ヵ月間のドキュメント・エッセイ
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人生にまつわる思考を開きながら、少しずつずれていく日常を淡々と綴った15ヵ月間のドキュメント・エッセイ
2017年夏、32歳も終わりかけの夏。
東京の郊外で生まれ育ち、東京都心で暮らしてきた「わたし」は、ふと、東京から少しだけ離れることにした。移り住む先は、都心からJRで約1時間、千葉の住宅街にある「家」だ。
それは、かつて母方の祖父母一家が暮らしていた場所で、今は空き家となっている築60年弱の一軒家。趣のある古民家でも、リノベーション済みのおしゃれな住宅でもない。やや変わり者の家族の歴史が、たくさんの家財とともに生々しく残る、きちんと歳を重ねた感じの昭和の家だ。
まちにも、特に特徴はない。海も山も縁がない住宅街で、最寄り駅はとても小さい。親しい友人も近くに住んでおらず、家族も一緒ではない(「わたし」は2年前に離婚していて、子もなく、親兄弟は離れて暮らしている)。
だけど、「わたし」は、そこでひとり、しばらく暮らすことにした。おそらく2、3年ぐらい。オリンピックの騒がしさが過ぎ去るまで。新しい仕事づくりが落ち着くまで。この人生の曖昧な継ぎ目の期間を「家」で暮らしたい。増改築の跡がくっきり残る、継ぎ接ぎだらけの家の寿命を、あと少しだけ延命するべく自分が住む。「家」と「わたし」がお互いの接着剤になるようなつもりで。
とはいえ、建物として本当に暮らせるハコなのか、この場所で暮らしが成り立つのか、実はよくわかっていない。
でも、ひとまず始めてみようと気合いをいれて、記録をここに残すことにした。
とても個人的な話で、とても私的なプロジェクトだけど、なんとなく、きっと、同じようなことにつまずき、悩み、救われ、考えている、同じような「わたし」と「家」が日本には点在している予感がするので。
(『家を継ぎ接ぐ』「ことのはじまり」より。)