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抽象画と希望

  • カ-21 (評論|現代思想・哲学)
  • ちゅうしょうがときぼう
  • 大角 康
  • 書籍|新書判
  • 70ページ
  • 500円
  • 2019/1/18(金)発行
  •  過去・現在・未来という時間の区別があるけれども、私という者は現在においてしか生きられない。未来にしても過去にしても、それらはどちらも現在という、私が現に在る時から見て未来であり過去であるのである。

     現在に生きるしかない私より見れば、未来という未だ来たらざる時は、私に対して「他なる時」であり続ける。未来とは「他なる時間」である、「私によって生きられることが永遠にありえない時間」である。未来、それは私が関係せずにはいられない時間であるとともに、しかも私によっては永遠に生きられない時間である。

     ところで、私が生きる時が常に現在であるとするのなら、他者もまた私と同じように、現在のうちに生きるのだろうか。

     他者とは私にとって「他なる者」である。他者とは「私がそれを生きることが決してありえない者」である。私にとって他者の存在がそのようなものだとするのなら、他者は私が生きる「現在」のなかに同居する者であってはならない。「現在」というのはあくまでも、私の生きる時間である。さらに言えば、それは私によってしか生きられない、私に固有の時間である。他者が私に取って代わって生きることのできない時間、それが「現在」という時間である。そのゆえに、他者は私の生きる現在のうちにあってはならない。

     他者が私にとって「他なる者」であるのなら、他者が現実に生きる時は、私によっては永遠に生きられない時間、すなわち「未来」でなければならない。他者の住む時こそ未来である。

     「私」と「他者」との関係は「現在」と「未来」との関係であり、私が「未来」を失うことは、「他者」を失うことである。私は他者との関係を遮断することで未来を見失うのであり、他者の排斥とは、私が自分で自分の未来を奪うことにほかならない。

     以上のような発想を基に本作は展開されている。絶望とは、現在に生きる私に対して未来が塞がれていることであり、それは私が他者を排斥することで、私が自分で自分を現在のうちに閉じこめるという事態である。

     他者と関係するときに現在は未来と関係し、現在が未来との関係を持つことによって、現在に生きる私は未来へと向けて生きることができるのである。明日を生き抜く希望とは、他者への信頼にほかならない。

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