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椿説 山と水 上(黒岩涙香選集第2巻)

  • 3F 第三展示場 | け-51 (小説|海外文学・翻訳)
  • ちんせつ やまとみず じょう くろいわるいこうせんしゅうだいにかん
  • 黒岩涙香 編集 真壁雅彪 口絵 いずみチエ
  • 書籍|A5
  • 166ページ
  • 700円
  • 2025/10/5(日)発行
  • 幼なじみビディ姫の婚約者が孤島に取り残されているのを救出するため姫とともに南洋に向かったベネットは海賊に襲われる。逃亡して上陸した二人に奴隷商人のわな、急流の小舟に迫る滝、次々に困難が襲いかかる。婚約者に心を寄せる姫、その姫を愛する失意の人ベネット。ベネットは姫を守って奮闘する。

    本文試し読み

    前がきの上

    (一)さらし台

    このごろの書物は、口絵に著者の肖像を掲げるのがはやる。余も初めに余の肖像を掲げておく。左の不名誉な図を見られよ。

    これは「さらし台」の図だと誰も言うだろう。しかり、「さらし台」の図である。台の上に立って、首と両手を板にはさまれ、生き恥をさらしている男がすなわち余である。頭の毛は幾月となく櫛を入れず、ひげはぼうぼうと伸び、我ながら愛想の尽きるさまだ。そばの板に余の名を書いてある。「しぶとい悪人=ベネット・ペンジリー」と。これは警察の書記が書いた。警察署が余に「しぶとい悪人」という肩書をくれたのだ。

    余は素性の正しい青年である。前途有望の学生と教師からも学友からも褒められた。それが学校を卒業して三年と経ぬうちに「さらし台」に立たされて大道にさらされる浅ましい身となったは何のためだ。ビディ姫のためである。

    読者よ、余は失恋の人である。余が伯父の家にビディ姫という養女があった。姫は幼い時からの余のなじみだから、当然に余を選ぶべきであるのに、余を嫌うて色の白い若紳士ハルリーという者を選んだ。追ってはハルリーの妻となるのだ。

    余は怒りもした。泣きもした。恨みもした。その果てがやけとなって、身を持ち崩し、家をもつぶした。世間の奴等はそれを笑う。余の通る姿を見ると、目引き袖引きしてあざけるのだ。余はあざけられるがいまいましいから、ついに山に入り、独り森の中に寝起きし、鳥や果物を食って、要らぬ命をつなぐこととなった。それでもやけ半分の放蕩[ほうとう]はなおやまず、ウサギ一匹を殺して五十銭に売れば、町に出て五十銭の酒を飲み、酔って人とけんかをする。制止に来た巡査をなぐる。そのような咎[とが]でさらし台に載せられることになった。

    今思うても「さらし台」に立たされるのは実に不愉快だ。平生余の乱暴を恐れている町の子等が余をばかにするのは今だと思い、馬のわらじを拾ってきて投げ付ける。猫の死骸で顔をなでる。又それを面白がって見物し、はやし立てて笑う奴がたくさんある。

    朝の六時にさらされて三時ごろまで立つうちに余の「ざま」を見て通った人は三百人以上もあろう。そのうちで一人、取り分けて余の目にとどまったのは、このごろこの町へ入り込んだ水夫ロドリゴという男だ。余は酒店で一、二度会った。何でも南洋を航海して長く人食い人種に捕らわれていたとかいうことで、人食い人種の風をまね、前歯を鋭く研ぎ立ててとがらせてある。それで水夫仲間では「とがり歯のロドリゴ」といわれ、恐れられている。その人相の悪いことは一度見た人が到底忘れ得ぬほどである。聞けばこの男、近々余が伯父の持ち船に雇われ又も南洋へ出かけるとかいうことだが、何の故やら余のさらされている前を朝から幾度も通行し、そのたびにジロリと余の顔を眺めて去るのだ。後に及んで分かったが、彼は余のような乱暴者を自分の手下に加えたいのであった。

    三時少し過ぐる頃、さらし台の前を通った三人連れの一組は、さすがの余を赤面させた。先に立つのが余の伯父で、伯父に並ぶのがビディ姫、姫の後についているのが色の白いハルリーである。三人は散歩の帰りに、知らずしてここを通り合わせたのであろうが、一番に余のこのさまに気の付いたのは姫である。姫は恐れだか驚きだか、顔色を変えてハルリーの後ろに隠れた。余はさらされていながらもしゃくに障った。余をこのようなことにしたのも姫の返事一つである。もし姫が余を選んだなら、今頃はハルリーの方がこのさらし台に立ち、姫が余の背後に隠れるところであったかもしれぬ。

    何で姫は余を恐れ、ハルリーの保護を請うように彼の後ろに隠れようとはする。何で余がそれほど恐ろしくて、ハルリーの方がそれほど安心である。ハルリー自身もまた、天然に姫を保護する役目に生まれ付いているかのように、手を広げて姫をかぼうた。余は台の上で足を踏み鳴らした。

    余の伯父は、道を行くに脇目など振らぬ人であるが、姫の様子で気が付いただろう。余の顔を横目に見た。余はこの時の伯父の面持ちを忘れ得ぬ。驚きながら驚かぬように、静かに余の方に向き、厳しく余の顔をにらみ、ただ一言

    「不心得な奴じゃ」

    と言って顔をそむけた。確かにその眼のうちには涙のような光が見えた。

    そうして知らぬ顔で立ち去ろうとしたが、このときかの「とがり歯」のロドリゴが進みいで、何事をか伯父に告げた。伯父はハルリーにささやいた。ハルリーは姫にささやいた。姫がうなずいたので相談が決まったごとく、今度は四人連れとなって立ち去った。何か余の身についての打ち合わせであったものと察せられる。間もなく警察の署長が来て、余を「さらし台」から取り降ろして警察へ連れて行った。果たしてここにはかの四人が控えている。問うまでもない、余は又も説諭を受けるのだ。姫の美しい顔の前なら、余が抵抗せぬだろうと思うているらしい。

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