サキの話を聞きたいというのは、あなたですね。
この村には、ネムノタキツボ、という淵があります。
漢字で書くと、合歓の滝壺。
あそこはいまは秋ですが、夏がいちばんです。茨坂を抜けて、まず目に飛びこんでくるあの薄紅。いや、鴇色と言ったほうがいいのかな。なんにせよ、合歓の花に目を奪われる。垂水のそそぎこむ翡翠の淵と対照的で、それはもう、あざやかですよ。
わたしもながいことこの村に棲んでいますが、あそこほどうつくしい場所はありません。
――この滝がひとを、いや、正確には、こどもを食う。数年に一度、かならず、夏に。
くだんの言い伝えがあるから、村のものは幼少期から滝に近づくな、ときつく言われています。まあでも、ひと目を盗んで、こどもたちは滝へ行きますがね。――魔力? そんなものはありません。戒められれば戒められるほど、禁を破りたくなるのはいつの時代も、ひとのさがだ。
滝はこどもの骸をかえさない。大昔からそうなので、おざなりな捜索しかおこないませんでした。――滝壺をつついて、見るべきでないものを見てしまうのを、村人たちは、無意識におそれていたんでしょう。
わたしも、そうなるはずでした。
「あれ、ラシーンだったよねえ」と、ティエニヴが言った。興奮気味の声をきくのは久しぶりだった。
「つるつるの白い肌で、金色の髪で、本当に青色の瞳をしているんだねえ」
ティエニヴの並べたてる知識は、空想と伝承をおりまぜた頼りないものだ。ティエニヴは、いちどもラシーンを見たことがない。
ここは、砂漠。
金色がつづく、特別なことはおこらない、砂漠。つまり、ラシーンなどとは遭遇しようのない場所。
ラシーンは水を呼ぶ。
ラシーンが立ち寄ったり、定期的にとおる場所は水がみち、緑がしげる。かつて砂漠のそこかしこでラシーンは群れ遊んでいて、その場所を、白の国のものたちはオアシスと名づけ、砂漠をわたるさいの拠点にしていた。
白の国のものは水場をたよりに砂漠をあるかなくてはならないが、青の民は水のない場所を選ばなければならない。
青の民が水と遭遇してしまわぬように、オアシスを避ける。――らくだがそうして青の民を守っていたのは、大昔のことだ。
野生のラシーンが、存在しなくなってしまったから。みな白の国のものがとらえてしまったのだ。砂漠をさまよっているとかならずといっていいほど見かけたラシーンは、いまは強引な繁殖を強制される施設で飼育され、数を増やされ、鎖をつけて砂漠を散歩させられている。白の国のものがラシーンの捕獲と飼育方法を確立させてから、砂漠はへる一方だ。ティエニヴとわたしは砂漠を水から逃げるように移動している。
2016年3月textrevolutions3内限定頒布「アラブBLアンソロジー」(尼崎文学ガイド発行)に寄せた同題の短篇を一部修正して収録しています。
その金色の翼を見たとき、まっさきに、うまそうだ、と思った。――それくらいに、飢えていた。
「あんた、たばこ持ってる?」
翼とおなじ色の巻き毛の少女は、そう、問うた。
「持っているように見えるか」
栗色の髪はぐしゃぐしゃに乱れ、着ているものも枯葉をつなぎあわせたようなぼろ。やせ細った手足は小枝のようで、背丈のある小鬼に見えた。
「魔法使いのくせに、たばこも持っていないのかよ」
「――あいにくと、魔法使いじゃない。魔女、とは呼ばれているがな」
はああ、と少女は大仰にため息をつく。
各地を歩きまわってひとびとにあやかしの雑貨を売っている魔法使いにまちがわれたことを、この手のものにありがちな、矜持を傷けられたというような表情を表出はさせなかった。それどころか、認めたくない言葉を自分から口にしたのは、空腹で錯乱していたからだ。どうやってこの手羽先を料理するか、もういっそ生のままでいいと、そのことしか考えられなかったから。
ずっと、飢えにさいなまれていた。だから、人間の棲む集落は避け、森や野原ばかりを選んで歩いてきたというのに、はからずも人里に出てしまった。そこかしこの食べ物に飢えは限界で、逃げるように森に駆けこみ、やみくもに木々のあいだを歩いた。そうしてここに、このちいさな泉にたどり着いたのだ。
「こっちも聞きたい、……その、なんだ、食い物はないか」
「あんた、だいぶ飢えてんな。――ないって言ったら、おれのこと食う?」
「わたしはいま、おまえを食うことで頭がいっぱいだ。食われたくなけりゃ、なにか出せよ」
(書き下ろし)
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