財宝が眠り幽霊が出るという時計塔、道九郎はその幽霊塔の中で時計の秘密を知る謎の美女秀子と出会う。密旨を果たすという秀子は命を狙われ、幽霊塔の屋敷で次々に起こる怪事件の嫌疑を受ける。道九郎は捕縛が迫る秀子を救うためその謎に迫る。
前置
余の著作名義をもって公にしたる幽霊塔の奇談が、いまだ全編の発兌[はつだ 編注 発行]を終わらざるに、早くも翻訳せられんとするを聞くは余のはなはだ栄誉とするところなり。ことにその翻訳が近時大いに文物の進みたる国として余のひそかに欣景せる日本国においてせらるるはほとんど望外の喜びなり。余はただにこの書の翻訳を許諾するのみにあらず、余が既に著し又は今後に著しも得る全ての著作に対し、君より来たる翻訳の申し込みを歓迎し、ここにあらかじめ大体に向かいて無差別に承諾の意を述べおくにちゅうちょせず。ただ着手の前に一応の通知あらんことは乞わざるを得ず。通知に接すれば通例原著者がなすごとく君に対してある暗示をなし得ることを信ず。翻終わるの後、製本のわずかなる部数を寄贈せられんこともまた望むところなり。
しかれどもこの書は厳重なる意味において余の脳髄にて作りたるものにあらず。ありたる事実を主なる関係者の一人より聞き受けて編述したるごときものなり。故に余が正当に余の労力と称し得るは材料に対する順序配列の方法にあり。他の人もし日本において同じ関係人又は他の関係人より直接又は間接に接受して公にするとも、その順序配列において余の方法を取らざる以上は、余は君のためにその人のなすところに故障を差し挟むことあたわず。
余は君がこの編の終末するを待ちてしかる後に翻訳に着手せられんことを望む。終末まで読み尽くさば君がその前に起こしたる思考と異なる感じを形作るべしと思えばなり。
余が原作の当国において望外に成功せしよりも君の翻訳がさらに貴国において大なる成功を得べきを望みつつ君の最も忠実なる者
英国において ベンヂスン夫人
日本において
野田良吉殿
The Phantom Tower by Mrs. Bendison
奇中奇談 幽霊塔
野田良吉訳
涙香生閲
余はこの事件の顛末[てんまつ]を世に打ち明けてよいか、はた誰にも話さず独り胸のうちへ隠しておくがよいか自分ながら判断ができぬ。大抵の話は世を諷[ふう]するがためとか、道徳のある大なる思想を分かりやすく、はた感じやすく人に伝えんがためとか、それぞれの目的があるけれど、この話にはそれがない。強いてあるとせば事実の方に小説よりも不思議のことが多いという一例を示すにすぎぬ。この話で人を誨[おし]えたいとも利益しようとも思わぬ。従って潤飾をも増減をも加えぬ。事実ありのままのむき出しである。もし趣向が無理だといえば事実が無理なのだ。小説には趣向もあろうが事実には趣向も細工もない。従って、得て世人の、ことに批評家のお気に召さぬように成り行くもあるのさ。
余は直接にこの件に関係せし人たるを証するため余の身分を紹介しおく。先ごろまで英国の検事総長を勤めたアーサー・マルベル(丸部朝夫)は余の叔父にて、余はその甥ドーグラス・マルベル(丸部道九郎)という男である。年齢は二十六、心身ともに最強壮、決して神経のためにこの恐ろしい事実を見損じ又は過大にしたなどの非難は受けぬ。
これだけ断っておいて、どれ、話に取りかかろう。もし話さぬがよいとならば、後で甘んじて読む人の叱りをこうむるまでのことよ。黙って知らぬ振りでいるはどうも余の性分に合わぬ。
第一回 ドエライ宝
「有名な幽霊塔が売り物に出たぜ。新聞の広告にも見えている」
と、まだ多くの人が噂せぬうちに、直ちに買い取る気を起こしたのは、検事総長を辞して閑散に世を送っている叔父丸部朝夫[まるべあさお]である。
「あのような恐ろしい、あのような荒れ果てた屋敷をなぜ買うか」
など人に怪しまれるがうるさいとて、誰にも話さずすぐに余を呼びつけて一切買い受けの任を引き受けろと言われた。余は早速家屋会社へ掛け合いそれぞれの運びを付けた。
もとより叔父が買いたいというのは不思議でない。幽霊塔の元来の持ち主は叔父の同姓の家筋である。昔からその近辺では丸部家の幽霊塔と称するほどであった。それがその家の零落から人手に渡り、今度再び売り物に出たのだから、叔父はともかくも同姓の旧情を忘れかね、自分の住まいとして子孫代々に伝えるという気になったのだ。
買い受けの相談、値段の打ち合わせもほぼ済んでから余は単身でその家の下検査に出かけた。土地は都から四十里を隔てた山と川との間で、かなり風景には富んでいるが、何しろ一方ならぬ荒れようだ。大きな建物のうちでめぼしいのがその玄関に立っている古塔である。この塔が英国で時計台の元祖だということで、塔の中ほど、地から八十尺も上の辺に奇妙な大時計がはまっていて、元はこの時計が村中の人へ時間を知らせたものだ。塔は時計から上になお七十尺も高くそびえている。夜などにこの塔を見ると、大きな化け物が立ったように見え、そしてその時計がちょうど「一つ目」のように輝いている。昼見てもずいぶんものすごいありさまだ。しかしこの塔が幽霊塔と名のあるのは外部のものすごいためでなくて、内部にさまざまの幽霊が出ると言い伝えられているためである。
くだくだしけれどざっとこの話に関係のある点だけを塔の履歴として述べておこう。昔この屋敷は国王から丸部家の先祖へ賜わったものだが、初代の丸部主人が、何か大いなる秘密を隠しておくためにこの時計台を建てたということである。大いなる秘密とは世間を驚動するほどのドエライ宝物でそれを盗まれるが恐ろしいから深く隠しておくために、十数年も智恵を絞って工夫を巡らせやっと思い付いてこの時計台を建てたというのだ。ところが出来上がると間もなく主人が行方知れずになった。いや、行方知れずではない。塔の底の秘密室へ(たぶん宝物を数えるために)降りて行ったが、あまり中の仕組みがうまく出来過ぎたために、自分で出てくることができず、さればとて外の人はどうして塔の中へ入るか分からず、何でも時計のある所までは行かれるけれどその所限りで後は厚い壁になって一歩も先へ進めぬから、救いに行くこともできぬ。その当座幾日の間は、夜になると塔の中で助けてくれ、助けてくれと主人の泣く声が聞こえるように思われたけれど、家内中ただ悲しんでその声を聞くばかりでいかんとも仕方がない。塔を取り崩すという評議もしたが、国中に内乱の起こった場合で取り崩す人夫もなくそのまま主人を見殺し、いや、聞き殺しにした。けれどまさかにそうとも発表ができぬから、主人は内乱に紛れて行方知れずになったということに噂を伏せてしまったそうだ。
その後はこの主人が幽霊になって出るということで元は時計塔といったのが幽霊塔というあだ名で通ることとなり、その後に時計塔は諸所に出来たものだから、単に時計塔とばかりでは分からず公の書類にまで幽霊塔と書くことになった。もちろんドエライ宝があるという言い伝えのためにその後もこの塔を崩そうかともくろむ者があったけれど、別に証拠のないことゆえ崩した後でもし宝が出ねばつまらぬとて、今もって幽霊塔は無事でいる。
余が下検査のためにこの土地へ着いたは夏の末の日暮れごろであったが、まず塔の前に立って見上げると、いかにも化け物然たる形で、さては夜に入るとあの時計が、目の玉のように見えるのかと、このように思ううち、不思議やその時計の長短二本の針がグルグルと独りで回った。時計の針は回るのが当たり前とはいえ、数年来住む人もなく、長く止まっている時計だのに、その針が幾たびも盤の面を回るとはあまり奇妙ではないか。元来この時計は塔そのものと同じく秘密の仕組みで、どうして巻き、どうして針を動かすかは、代々この家の主人のほかに知る者なく、そうしてその主人は死に絶えたために恐らくこの針を動かし得る人はこの世にないはずだ。余の叔父さえも、数日来いろいろの旧記を取り調べてこの時計の巻き方を研究していた。余はもしや川から反射する夕日の作用で余の眼がだまされているのかと思い、なおよく見るに、全く針がただ独りで動いているのだ。まさかに幽霊が時計を巻くわけでもあるまい。