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檸檬羊毛

  • 南1-2ホール | T-84 (小説|純文学)
  • れもんようもう
  • 諸戸 琴環
  • 書籍|B6
  • 128ページ
  • 1,000円
  • 2025/11/18(火)発行

  • 香りは、記憶のかたちをしている。

    檸檬の瓶、赤く染まった煉瓦塀、ボートの揺れ。
    触れずにいた感情が、少しずつ形を変えながら肌に沁みていく。
    「沈黙」を通して語られる、小さな香りの記憶の断片集。

    煉瓦塀の隙間から漂う、焼けた皮膚と血の匂い。
    鼻先を過ぎる異臭に抗うように、布に染み込んだ檸檬の記憶を呼び起こす。
    誰かの記憶か、あるいは記憶のなかに残された誰か。
    何を確かめに来たのかもわからないまま、ただ匂いだけが過去へと連れ戻す。

    『檸檬羊毛』は、そんな一つの場面から静かに始まる。
    だがそれは、ただの序章にすぎない。
    語りはやがて移ろう。
    親子、祖母と孫、従兄妹、見知らぬ女と少女──
    その関係性は、時に繋がり、時にすれ違いながら、
    記憶と沈黙のなかで互いの輪郭を形づくっていく。

    匂い、手触り、夏の光と翳り、
    そして長いあいだ言葉にされずに沈殿してきた思い。
    それぞれの登場人物が抱える静かな裂け目が、
    断片的に、しかし確かに編まれていく。

    未完成のまま放置された小さな布袋、薔薇の香り、
    斑に染まったハンカチ、曇ったガラス越しのジャズの旋律。
    そうした些細なものたちが、無言のまま語り手となる。

    声を荒げる者はいない。
    ただ、言葉にできないまま誰かの胸に沈んでいった思いが、
    ふとした手の動きや、しまわれたままの物の存在を通して滲み出す。
    そのかすかな浸透が、全体に目に見えない織目を与えていく。

    これは、ひとりの物語ではない。
    けれど、どの語りも、どこかで誰かひとりの深い孤独と、密かに通じている。

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