恋人をドバトに奪われた男の哀れな奮闘記。
「ああ、ついに」
ベランダの欄干に、ハトが一羽とまっている。
ドバトだ。
きれいな鳥か?と聞かれたら、ちょっと答えに困る。
羽根の色は全体的に灰色というか黒褐色というか、いい加減なムラがあってみすぼらしく見える。陰鬱な油彩画家がしつこく塗りこめたカンバスみたいな模様をしている。
「とうとう届いたのですね。ああうれしい」
かと思えば、首筋のあたりはピンク色というか緑色というか、つるりとメタリックな羽根で彩られている。これがオシャレというものなのかもしれないが、じゃっかん不気味な印象も否めない。なんとなく太古の恐竜を思わせるその色彩は、どんなセンスだ、と言ってやりたくもなる。
「わたくしです。ああどうか、はやく中に入れてくださいまし」
とは言え、俺だって他人のファッションセンスをとやかく言える立場にはない。
何故なら俺はいま、素っ裸だから。
いや、裸ということならドバトも同じなのかもしれない。でも向こうは全身が羽で覆われているのに対して、俺の身体はあまりにもむき出しのスキンである。せいぜい腕とか胸とかへそ回りとかすねとかに、ちぢれた体毛がちぶちぶ生えているに過ぎない。
ハッキリ言って汚い。
よく素っ裸のことを「産まれたままの姿」とか表現するが、今の俺みたいなおっさんがお腹から出てきたら、おぞましさのあまりにすべてのお母さんは失神すると思う。産婦人科医も助産師も困ってしまうだろう。
「ああ。どうして聞こえないふりなどなさるのです。わたくしです、わたくしです」
なんで、裸なの?と聞かれたら、それはお風呂上がりだからだ。
このところ俺はヨガにはまっていて、風呂に入ってたっぷり身体を温めてから、床に敷いたバスタオルの上でよたよたと身体を伸ばしたりポーズをとったりしている。
身体が完全に温まった状態でそんなことをやるものだから、全身からじわじわと汗が出て止まらない。たいへん気持ちよくて結構な話なのだが、この状態でTシャツなどを着ようものなら瞬時に汗びたしになってしまう。
だから俺は裸でヨガをやる。土曜の真っ昼間に、マンションの一室でひとり、汗を流しつつ全裸でヨガをやっている。
ヨガってると言ってやってもいい。
そして今日は輝かしい記念日なのだ。ついにハトのポーズができるようになったのである。これはヨガを始めた頃からの念願であった。
「積もる話もございますですよ。ささ、開けてください。この窓を」
ハトのポーズについて言葉で説明するのはちょっと難しい。一番簡単な説明は「お手持ちのパソコンなりスマホなりで「ハトのポーズ」と検索して出てくる画像」というものだが、それじゃあんまり愛想がないので俺なりに描写してみよう。
まず、お馴染みのハトの姿はいったん忘れて欲しい。あと、ハトサブレ―とかのデフォルメされたシルエットも忘れてください。ハトのポーズってそういうのじゃないから。
あるのは大きく張った胸、いわゆるハト胸だ。
上半身は両手を後ろで組み、ハト胸を作る。それから下半身だが、前足に関しては執事とかがやる片手を曲げたお辞儀を想像していただければわかりやすいだろう。「お嬢様、お待ちしておりました」みたいな感じで、前に出した足は内側に折りたたむ。もう一方の足は、時計の針で言えば八時五十八分くらいの角度に曲げる。で、ここが最大のポイントなのだが、その八時五十八分に曲げた足のつま先を、上半身の後ろで組んだ腕につけるのだ。これにてハトのポーズ完成、ということになる。
伝わっただろうか?
たぶん、伝わってないだろうなと思う。
まあとにかく、俺はいま、全裸のハトのポーズで、窓の外のベランダを見ているのだ。さっきまで欄干にとまっていたドバトはベランダの内側に降りて、窓のすぐ手前にいる。
正真正銘本物のドバトと、全裸でポーズをとるフェイクのハトが、ガラス越しに向き合っているのだ。
ドバトはこつこつ、と窓ガラスをつついて見せた。窓は少し汚れているが、それでも姿ははっきり見える。くいくいと首を左右にひねり、こちらの様子を伺っている。
明らかに、ドバトは俺を見ていた。
「ああどうか、この窓を開けてください。ああ」
また、ドバトはガラスをつついた。同時に声が聞こえる。さっきからずっと聞こえている声だ。情けないおじさんの裏声みたいな、茹でたもやしみたいに弱々しくてかぼそい声。声は明らかに、ガラスの向こうから聞こえてくる。
つまりどういうことか?
俺の頭が導き出した答えは一つ。
「わたくしですよ!ああ!ハトめでございますよ!」
ドバトが、しゃべっている。