死んだじいちゃんがうっかり帰ってくる。
じいちゃんが死んで一年近く経ったころ、当のじいちゃんは自分が死んでいることをちょいちょい忘れるようになった。
困った話だ。
最初の「ど忘れ」は三週間前のことで、昼寝しているところに突然電話がかかってきたのだった。スマホの画面を見ると、「祖父(ケータイ)」とある。二度三度目を瞬いて見たが、やはり「祖父(ケータイ)」とある。
携帯電話の番号は解約後に再利用されると聞いたことがあるから、たまたまじいちゃんの携帯番号を受け継いだ誰かが、たまたま僕に電話をかけて来たのかもしれない、と思った。
しかし電話に出てみると、声の主はやっぱりじいちゃんである。
「ワシや」
「えっ」
ビックリしなかったと言えば嘘になるが、しかし驚いてばかりもいられない。
「なんで電話してきたんだよ」
じいちゃんはもう死んでいるのである。ゆえに電話をかけてきてはいけない。そんな当り前の摂理を、僕は電話口でこんこんと言って聞かせた。コーヒーを飲んでから眠ったせいか、口の中が渇いて舌がねばつく。水が飲みたかった。
「そうか。アカンのか」
じいちゃんはわりと素直に納得し、僕は「そうだよ、ダメなんだよ」と言って電話を切った。通話時間、二分三十五秒。
切った後に、何の用事でじいちゃんが電話してきたのかを聞き忘れたことに気が付いた。だが仕方ない。そもそも死んだ人と電話できたこと自体がおかしいのだから。
それから四日経った午後のことだ。
コロッケパンと薄めのカルピスで簡単な昼食をとっていると、洗面所の方からどじゃーっ、と水を流す音が聞こえた。まず間違いなくトイレの音だ。この家には僕一人しかいないはずなのに、どういうことだろう。
ソースのついた刻みキャベツを口からはみ出させたまま固まっていると、洗面所のスライドドアが開いてじいちゃんが出てきた。
「なんや、マサフミか」
「えっ。なんで」
じいちゃんはもう死んでいるのだから、当然のような顔をしてトイレから出てきてはいけない。僕は食べさしのコロッケパンをそのままに、じいちゃんに向かって懇切丁寧に説明した。そもそもじいちゃんは死んでいるのだから、もうトイレに行く必要もないはずなのだ。
「ああ。忘れとったんや」
わかったようなわからないような顔で、じいちゃんは曖昧にうなずいた。それからカルピスの入ったコップを指して、「ワシも飲みたい」と言った。
「あとで仏壇にあげとくから」
「いま飲みたいんや」
仕方ないから僕は冷蔵庫を開け、カルピスを作って手渡した。「うすいな」と文句を言われたが、知ったことではない。そもそも死んだ人はカルピスなんか飲まないのだ。
「飲んだら早く帰ってよ。じいちゃんはもう死んでるんだからさ」
「そうか」
じいちゃんはコロッケパンを未練がましく見ていたが、やがてすごすごと部屋を出て行った。悪いことをした気もするが、コロッケパンは僕の分だからあげられないのだ。
じいちゃんが帰ってから、いったいどうやってこの家に戻ってきたのかを聞きそびれたことに気が付いた。しかしまあ、それがわかったところで仕方ない。
だってじいちゃんはもう死んでいるのだから。
ところが再三の注意にもかかわらず、その後もじいちゃんは平然と現れ続けた。