急な雨だったのに、道行く人々はみな傘を持っていた。色とりどりの傘が行きかうその光景は、まるで今日の雨を知らなかったのは世界でわたしひとりだけ、とでも言いたげだった。
雨はあっというまに、町全体を煙のように包んだ。ショーウィンドウの明かりも、信号機も、酒場のネオンサインも、すべてがぼんやりと滲み、今にも雨粒の中に溶けだしそうになっている。
わたしはどこへ行けばいいのかわからなかった。前髪からしたたる水と、徐々に冷えてゆく肩は、わたしのことを絶えず急かした。けれど、足をどこに向けたらいいのかはわからないのだった。
どれくらいそこに立っていただろう。たくさんの傘がわたしを避け、左右を通り過ぎていった。中の表情は読み取れなかった。みな、きちんと行き先があるような足取りだった。
わたしの視線は、自然と足もとに向いていた。どこにも歩み出すことができない自分の足が恨めしかった。どうしてこんな日にヒールの高いサンダルなんて履いているのだろう。おしゃれをする必要なんてないはずだった。いったいどこへ行くつもりだったのか―雨に煙る街が、思考や記憶までも洗い流してゆくようだった。
素足のつま先は、冷えて、濡れて、色を失っていた。簡単に言ってしまえば、もうすぐ死んでしまいそうに見えた。
視界の端から、黒い革靴が入り込んでくる。それはまたわたしを避けて、右か左へ進路を取るのだろうと思った。しかしそのつま先は、わたしのそれと先を突き合わせて、ぴたりと止まった。
「見つけた」
その声は雨音を縫って、こちらにはっきりと届いた。この町でたしかな輪郭を持っているのは、彼の声だけのように思えた。
視線を上げてみると、まつ毛から水滴が落ちてゆくのがわかった。けれど、わたしは目を閉じなかった。何故なら、目の前にいた彼もまた、わたしと同じように傘を持っていなかったからだ。
彼はわたしの右腕を取って、さっさと歩き始めた。死にかけの足は息を吹き返し、軽やかに歩んだ。水たまりを踏んでも、泥が跳ねても、一向に構わなかった。
「凍えてしまう」
カフェに入ると、彼はわたしを椅子に座らせ、ハンカチで体を拭いてくれた。泥と埃にまみれたつま先に彼の指先が触れるとき、わたしは反射的に「待って」と言った。けれど、つま先はピクリとも動かなかった。まるで、彼に触られるのを、心のどこかで望んでいるみたいだった。(本文より)