退屈したくてここへ来たのです――わたしはどうしてか、酒場で酒の力を借りても、ついぞ言葉にできなかったことを口にしていた。男は「退屈を求めているのなら、ここよりいい場所はないだろうね」と笑った。
「実は、この島には昔来たことがあります。子どものころ、家族と……遊覧船で島を一周して、それから街へサーカスを見に行きました。風が吹けば飛んでしまうような、ボロボロのテントの中で、痩せたゾウが鞭で打たれているのを見た記憶があります」
「ゾウの見世物はもう何年もやっていないから、もしかすると死んでしまったのかもしれない」(本文より)
『ムハンマドと砂漠の黒い匣』小金井牛
ケバブに焼き茄子、蜂蜜をかけたピスタチオ菓子に西瓜にイチジクに椿茶に乳香、銅器に錫のカトラリーに羊皮紙。それらをごった煮にしたような芳香漂ういつもの市場。のっぽと太っちょの男二人が僕、つまりムハンマド・アル・ガームディーの働く金物店にやって来たのは春先のことだった。二人とも上等のスーツ。あまりバザールでは目にしない風采だ。
「貴方のお祖父様が、砂漠で黒い箱を見たとか」
「ああ、確かにそんなことは言っていましたが。しかしもう祖父は……」
「実は調べさせて頂き、存じております。この度はお悔やみを申し上げます」
サルマーンおじいちゃんは、二か月前に脳梗塞でこの世を去っていた。
「ただの年寄りのホラですよ」
この国の人間は大なり小なりよくホラを吹く。だから言われた方もいちいち気にしないのだが、今考えてみれば、おじいちゃんの態度はなんだかおかしかった。その時は、僕もおじいちゃんと隊商と共に、砂漠超えの最中だった。ひどい砂嵐に遭い、身を寄せ合い凌ごうということになったのだが、おじいちゃんはカアバ(※1)を見たと言い、カメラを取り出し駆け出そうとしたのだった。慌てた僕等は、暴れるおじいちゃんを引き摺って連れ戻した。嵐が収まってから、また、街に着いてからもカメラの映像を観てみたが、当然カアバなど写っていなかった。おじいちゃんは会う人会う人にこのことを吹聴し始めた。
茶飲み仲間に大笑いされ、おじいちゃんが逆上して殴り掛かるなんてこともあった。
「まさか、そんなホラを確かめに来たんですか?」
「それが、唯のホラとも言えなくてですね」
のっぽの方が、むさ苦しい髭面を近づけ、声を顰めて言った。
「実は我々は、実際に黒い箱を探しています」(本文より)