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元日|プロローグ
ひたひたと雨が降っていた。リビングとも寝室ともいえない部屋の、一番大きな窓が細く開いている。夜に包まれた雨の気配が、カーテンを巻き込むようにして、部屋のなかを満たしていた。あたらしい年が始まる騒がしさもここには届かない。
窓枠に背をもたれ掛けて座り、膝のうえに手帳を置いて、これを書いている。隣にちいさなランタン型のライトを置いて、わたしは夜の底を漂っている。手帳の頁の隅に描かれた、スイートピーの花びらをそっとなぞる。「門出」を告げるその花は、今のわたしに丁度よい。
ラジオが、明日も雨だと淡々と告げていた。深夜に聞くひとの声は子守唄のようにやさしく、毛布のようにやわらかく包み込んでくれる。
朝、わたしはトランクをひとつ携えて、旅に出る。どこに行くかも決めていない。
この手帳には、感じたこと考えたこと、経験したことしていないこと、そして頭のなかでしか起きていないこと、あらゆることを記していく。けれど、毎日じゃない。祝日の日だけ。日記、というものに憧れがあったけれど、あまりに内向きすぎるから、あなた宛ての手紙のような心持ちで、物語を綴るような気持ちで書いてゆく。
もうすぐ、朝が来る。
雨は予報通りに止んでいない。細雨のなか、お気に入りの本と万年筆、少しの着替えを詰め込んだトランクを抱え、わたしは舞台の緞帳をすり抜けるように外へ飛び出してゆく。
細やかな雨の滴が身体に纏わりつく。それを、花嫁のヴェールのように流した茶色の髪のうえに被り、引きずるように駅へと急ぐ。ときおり擦れ違う人々の顔は朗らかで明るい。二年参りの帰路か、これから向かうところか。首に巻いたマフラーに顔を埋めるようにして、深い息をひとつ、ふたつ溢した。顔を上げなおす。ブーツの踵を小気味よくアスファルトに叩きつけ、踊るように歩いてゆく。
始発を見送り、次の電車の先頭車両。運転席の見える位置に座り、窓から外を眺める。
これは、わたしの、なんでもない日々を彩る記録。