ここは深海だ。
真っ暗で先が見えなくて、呼吸ができない。
生きづらさを抱えた人たちが、もがきながらも自分の道を歩んでいく短編集。
『Tiefsee』(書き下ろし)
みんなは苦しくないのか。
上手く息が吸えるのか。
こんな海の底でも、苦しくないのか。
おれは押し潰されそうだ。
ここでは生きられない体なのかもしれない。
記憶が、わたしを縛りつける。
陸地に縁取られた海面と、鮮やかな緑。
わたしは初めての一人旅で、ようちゃん先輩が生まれた町に来た。
海を眺めていると、ある女性に声をかけられる。
ようちゃん先輩に思いを馳せるわたしは、現実と妄想が入り混じっていく……。
『虚無を食む』
なんで人間は食べないと生きられないんだ。
もっといっぱい食え、もっと美味そうに食えと言われる。
言われれば言われるほど、食べることが嫌いになる。
そんなことも知らずに、痩せた俺の体を見るたびに親も友達も言ってくる。
『波打ち際』
全てを飲み込んでしまった海は、途方もなく大きい。
水族館を訪れた私は、あの日のことを思い出す。
「海の中はね、とても美しいんだと思う。そうであるとあたしは願ってる」
六年ぶりに再会したみさきちゃんは、そう言ってざらついた本をするすると撫でた。
みさきちゃんの手は、すっかり大人の手になっていた。
おれは誰かの「生」を感じたことがない。
手を伸ばそうとしても、ぬくもりは手に届く前に離れていく。
海に浮かぶ島を想像する。
水面から体をどっしりと出した島は、全部女だ。
アーリーは先週から頭に女を飼い始めた。
髪全体は明るい茶色なのに襟足だけ緑色だから、おれはそれを島だと思った。
『嵐を待つ』
この雨雲を全部かき消してしまえるような、嵐が来たらいい。
親父みたいにはなりたくないと思っていた。
それなのに俺は、親父と同じ道を歩いている。
俺もこんなふうに、綺麗に生まれ変わることができたらいいのに。
纏っていた重い皮膚を脱ぎ捨てて、違う人間になれたらいいのに。
永遠に続いていると思っていたぐるぐるには、ちゃんと終わりがあった。
私は小さな村で育った。
山と田んぼがあるだけで他には何もなかったが、それが私の全てだった。
不自由など感じたことはなく、ただただ自由だった。
なんでもできそうな気がしていた。
でも、母以外の生き物が怖かった。
自由と不自由を知った、あの頃の話。
『Schiff』(書き下ろし)
ダメな自分を自覚するたびに、頭の中の母親が「出来損ないだ」とおれに言った。
その声を聞くと、おれの体は熱くなる。
頬も喉も熱くて、がぶがぶ水を飲んでも足りないくらいだ。
ずっと海の底で沈んでいるのに、水が足りないなんて変な話だ。
・『Tiefsee』『Insel』『Schiff』は連作短編です。
・一部加筆修正をしております。
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