紀元前一世紀を生きた大司祭ベン=アリ。
彼が遺した書物の中には、デルタの丘と呼ばれる異界の記録が数多く散見される。
時代や国、言語、信仰、生物の種類、生死。ありとあらゆるものが同時に存在する混沌の世界を、ベン=アリと現代異界ルポライターの二人の目を通して写し取った一冊。
上記のコンセプトで書いた小説本です。
『現物』っぽさを楽しみたいかた向けの手作り本。
中身の小説は全文こちら→
https://estar.jp/novels/26065698で読めます。
※表紙は合皮素材のため、経年劣化で端が反る可能性があります。
※手作業で製本しているため、形に多少のバラつきがあります。ご容赦いただけますと幸いです。
※イベント頒布価格です。
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【試し読み】
<現代異界ルポライターによる添え書き>
ベン=アリと呼ばれる人は、紀元前一世紀を生きたユダヤ教サドカイ派の元司祭だ。現代においてほとんど資料が残されていないサドカイ派の個人に対して、ここまで断定的な物言いができるのは、本書の元となった五つの書物が全て、異界の大図書館ヴェルティージニの一等書架に収められている物だからである。
三十メートルを越える大扉で有名であり、古くから観光地としても名高いヴェルティージニ図書館には、ガイドブックにも記されている通り、「めまい」の名前を持つに相応しいほど膨大な書物が並んでいる。人間ですら時間の存在を忘れられる異界での滞在で、そういえば随分時間が経ってしまったなあなんて馬鹿げた感想が言えるのは、この大図書館で本に熱中した時ぐらいだろう。ヴェルティージニ図書館の近くの路地では、よく時間を売る露天商が店を出しているが、彼らがどこから時間を仕入れているのか想像するのは難しくない。
オカルト、スピリチュアルの方面では、その世界自体が巨大な図書館に例えられることもある異界、或いは潜在世界にあって、それでもわざわざヴェルティージニ図書館にたむろしたがる者というとやはり人間が多い。私も勿論ヴェルティージニの大ファンだが、慣れ親しんだ本の形で知識が保存されているというのは、私たちにとって非常にわかりやすいのだ。むこうの国の友人には「無形で秩序無くそこから自由に読み取れる方が便利ではないのか」とよく言われるのだが、人間の私にとってはいまひとつピンとこない。友人たちはわからないことがあると、まるで仮面ライダーの変身ポーズのような動きをして、どこかから知識を取り出すのだが、そんなことをするぐらいなら、大図書館に行って堅実に知識を収集する方が確実で誤りのない情報を手に入れられるだろう。
(本編へ続く)
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<見ることについて>
その日は強い風が吹いていた。日が落ちる前から家の中にいれば良かったものを、私は遅くまで外出しており、携えた明かりが消えてしまうのではないかと肝を冷やしながら家路を急いでいた。 自宅のそばまでやってくると、家中に灯る明かりが見えた。触ったわけでもないのに温かく感じて、私は早く中に入って足を洗いたいと思った。履物の隙間から砂利が入り込んでいて、足元が大変に不快だったからだ。
それまで「消えるな、消えるな」と念じてばかりいた心が他へ逸れたことに気付いたのか、突風が吹いてきて手元の炎が消える。途端に私は暗闇の中に落とされてしまった。水の中に突き落とされたかのように、息が苦しくなる。私はよりいっそう家を恋しく思って、覗き窓から漏れる明かりをすがるように見つめた。 すると家中で大きな影がうねるのが見えた。私は躓きそうになりながら慌てて足を止めた。きっと隙間風が明かりを揺らしただけだろう。そうは思うのだが、一度冷えた肝はなかなか勇気を出してくれない。じっと見つめてはならないと心の奥底が言ったが、私はその声に従わなかった。
立ち止まって見つめていると、家中の影は再び揺らめきだした。それは広がって伸び上がり、家の中を這い回っていた。いつか見た覚えがあると思って記憶を探ると、先週市場で見かけた異国人の露天商のことを思い出した。彼は「よく焼いて食うものだ」と言って蔓草でできた大きな籠を私に見せた。何が入っているのかと尋ねた私に、露天商は―わざとそのようなことをしたのだろうとわかる―意地悪な笑顔を作って蓋を開いた。籠の中には十数匹の蛇が入っており、私は声を失うほど驚いた。後ろに従っていた付き人の一人が即座に割って入り、私をその場から遠ざけたが、蛇たちは人間の事情などお構いなしにその場で蠢いていた。露天商にとってはほんの冗談だったのだろうが、彼はすぐに人を呼ばれてその場から連れ去られてしまった。その時は呆気に取られるばかりだったのだが、蛇たちが固まりになって蠢いている姿は心の奥底に深く刻み込まれていた。
(本編へ続く)