こちらのアイテムは2017/5/7(日)開催・第二十四回文学フリマ東京にて入手できます。
くわしくは第二十四回文学フリマ東京公式Webサイトをご覧ください。(入場無料!)

『G-W-G』01号

  • Fホール(2F) | オ-52 (評論|文芸批評)
  • げーヴぇーげーみーぬす01
  • G-W-G編集委員会
  • 250ページ
  • 500円
  • 2017/5/7(日)発行
  • 【目次・140字紹介】
    ◆発刊の辞
    ◆座談会・「文学」と「資本」 池田雄一・位田将司・立尾真士・宮澤隆義
    • 文学が率先して資本主義となった現状、研究・批評・創作はどのようにありうるか。文芸評論家池田雄一氏と、ニューアカ以降の批評・小説、出版資本、「自己実現」問題、「大学」の労働状況と実績主義、天皇制、NAM、SEALDs、震災・原発と多岐にわたり語り合う。
    ◆プロレタリア文学の集団芸術性 楜沢健
    • 1968年版『蟹工船』が起こした「ブーム」を振り出しに、「プロレタリア文学」総体をどのように再評価し、批判的に乗り越えてゆくのか。花田清輝や湯地朝雄らの問題設定を汲みつつ、集団制作の理念とともに「プロレタリア文学運動」が行おうとしたこと、そこに未完のまま打ち捨てられている可能性を探る。
    ◆戦後カメラ製造業の一断片—太田俊夫の著作から見る株式会社ワルツ破綻 山下雄司
    • 区役所員・商社海外駐在員・暗号兵・カメラ会社社長・小説家という多彩な顔を持つ太田俊夫。丹羽文雄の義弟であった太田が経営した株式会社ワルツの足跡を彼の著作から読み解き、今まで顧みられることの無かった戦後日本カメラ産業成長期における中小製造業者の活動に光を照らす。
    ◆正岡子規と資本主義 宮澤隆義
    • 俳諧・短歌の革新者として知られる正岡子規。彼の存在は「明治」に導入された資本主義とどのように交差したのか。美学への絶えざる関心、日清戦争従軍体験と労働観、中江兆民『一年有半』への態度等をたどりながら、子規が示唆していた「時間」の問題における両者の浸透と乖離を論じる。
    ◆「文学」の主観性—「秩序」は防衛しなければならない— 位田将司
    • 新自由主義経済は言う、「主観性」の構造は「市場」の構造である、と。1920-30年代の「日本文学」で、人間の「主観性」を市場化する思想が導入される。新カント派(価値哲学)とマルクス経済学は「文学」の「主観性」を市場化し、「商品」・「文化」として消費させるに至るのだ。
    ◆存在の隠蔽、資本の川〔レーテー〕—後藤明生の超越論的主観性— 橋口祐樹
    • 後藤明生の作品は、テクスト論という支配的な解釈によって包囲され、そのイデオロギー的側面の思考を妨げられてきた。テクスト論を偽装し、その小説を「表層」ではなく「存在」の元へ帰すこと。彼が主題化する「文学」と「会社」という二項性を本質化すること。それが本論の野望である。
    ◆村上春樹「パン屋襲撃」が「パン」に〈変成〉するとき—第八次「早稲田文学」時代と、二つの『夢で会いましょう』— 小澤純
    • 「村上春樹「パン屋襲撃」が「パン」に〈変成〉するとき―第八次「早稲田文学」時代と、二つの『夢で会いましょう』」では、「パン屋襲撃」が纏う〈緊迫〉について考察する。「パン屋再襲撃」を迂回し、雑誌掲載時の文脈を復元することで、資本主義下の閉塞を生きる〈我々〉の不能感を問う。
    ◆独裁・脱出・革命—グローバル資本主義下の村上龍文学— 立尾真士
    • 村上龍文学の「描写」は資本主義の力学の謂である。では、その文学はグローバル資本主義の包摂に抗っているのか、あるいはそれに親和的か。『愛と幻想のファシズム』『希望の国のエクソダス』『オールド・テロリスト』の読解を通して、村上龍文学における〈革命〉の(不)可能性を見る。
    ◆妄想有罪、BL無理 照山もみじ
    • 「美少年マンガ」はいかにBL として産業化され、出版資本に包摂されていったのか。その過程で、「文化」として認知されることと引き換えに、BLは何を手放すことになったのか。本稿では、BLの「商品」-「文化」化を手放しに称賛することへの居心地の悪さを、真正面から問うた。


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