こちらのアイテムは2016/5/1(日)開催・第二十二回文学フリマ東京にて入手できます。
くわしくは第二十二回文学フリマ東京公式Webサイトをご覧ください。(入場無料!)

箱庭療法 三.

  • サ-10 (小説|短編・掌編・ショートショート)
  • はこにわりょうほうさん
  • 珠宮フジ子
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 136ページ
  • 300円
  • 2016/5/1(日)発行
  • 誰かが居た日常を。誰かが居なくなった日常を。
    それでも、世界は続いていくというそのことを。
    サイトでも展開しています連作の短篇集。三冊目です。
    136p(予定)・300円
    【収録内容】
    火星人と私
    キャッチ-22
    星を踏んで帰る
    対岸の夢
    【本文サンプル】
     火星人と暮らしていたことがある。私がまだ制服のスカートを着ていた頃のことだ。
     
     その夏のはじめ、私は交通事故に遭って、町のはずれの古い病院に二週間ばかり入院していたのだけど、退院して家に帰ったら、火星人が居着いていたのだ。
     彼は一見してそうと分かる姿かたちをしているわけではなかった。映画で見るような火星人、ドーム型の頭にたくさんの触手が生えている、グロテスクな生き物のかたちではなくって、まるっきり私たちと同じ、人間のかたちをしていた。胴体があって、二本の脚が伸びていて、肩があって腕が伸びていて、肩の間には首があって、首の上に頭が乗っかっていた。黒い髪は短く刈り揃えられて、同じ色の縁の眼鏡が、はっきりとした目鼻立ちを幾分か落ち着けていた。眼鏡の奥の大きな目は、あちらへこちらへとよくよく動いて、ひとところに留まることがないようだった。
     そんな様子だったから、入院中の荷物を詰めた鞄を肩に提げたままの私は、家のリビングの真ん中でじっと立っている彼を見たときに、泥棒がそこに居るのかと思って、叫び声をあげそうになったのだ。ただでさえ、久しぶりの家だからということで緊張していたのに、見知らぬ誰かがそこにいて、私の方に注意を向けるでもなく、きょろきょろと部屋の中を見回しているのだから、私の驚きは妥当だった、と思う。ただ、私のせき止められていた息が声として吐き出されようとした瞬間に、彼の目が私を向いたものだから、黒い目が、今度はあんまりじっと動かずに私を見つめたものだから、私はまた、息を止めて口を閉ざしてしまったのである。
     彼の目の黒いのといったら、その時までに私が知っていた誰の目よりも黒かった。じっと見つめられるのを見つめ返していると、そのまま魂を抜き取られてしまいそうな、底の見えない黒色だった。私はそれと同じ黒色を見たことがあった。彼の目は、夜空とまったく同じ黒色をして、ただ、そこにあるべき星の光をまったく欠いていた。満月の夜でさえ夜空には一等星が輝くにも関わらず、だ。だから私は、彼を泥棒だと思ったことも、彼のまなざしに驚いたことも忘れて、彼の目の中の暗い夜空を眺めながら、なんてさびしい空なんだろう、と、身勝手な憐憫を寄せていた。
    「はじめまして」
     そう言ったのが彼だと言うことに気が付くのに、しばらく時間がかかったように思う。私が彼の目にばかり気を取られていたせいでもあるし、彼の声が太く低く、安定感すら感じさせるものだったせいもあるだろう。今思い出しても、彼の声というのは彼の様子というのとまったく不似合いだと思うのだ。
     私が詰めていた息をゆっくりと吐き出した声は、彼に向かって「はじめまして」とまるで平凡な返事をしていた。彼がそう言ったのだということに気が付いて、一挙に気が緩んだせいだったのだろう。人が思いがけないことをするのは、大体、ぼんやりとしているときだから。だから私は、目の前に居て私をじっと見つめている彼が、見知らぬ怪しい何者かであることを忘れてしまったみたいに、まるで呑気な返事をして、ソファまで歩いていって、白いクッションの上に鞄を下ろした。学校から帰ってきたときと同じことをしていたわけだけれど、下ろした鞄が白いボストンバックで、その開いた口からのぞいているのが淡いピンク色のパジャマだったのが、ふと私に現実を思い出させた。ひさしぶりに帰ってきた家に、見知らぬ誰かが居るという現実だ。
      鞄の口を手で寄せて閉じておいて、私は彼を振り返った。彼の夜空の目はまだ私をじっと見つめていた。最初に見たときにきょろきょろとしていたのが嘘みたいに、彼のまなざしは私に向かってまっすぐだった。
    「どちらさま?」
     私はうわずった声で彼に尋ねた。そのつもりだったのだけど、彼は私の質問に答えずに、ただ、私をじっと見つめるばかりだったから、もしかして私が声を出したのは気のせいだったんじゃないだろうかと、妙なことを思った。勇気を出してもう一度「どちらさま?」と口にしてみる。さっきよりも声は落ち着いていた。そのせいだったかは分からないけれど、彼はゆっくりと大きく、三回、瞬きをした。私の思い出す話の他のどこかには、きっといくつかの間違いもあるだろうけれど、このときに彼が三回瞬きをしたということだけは、絶対に正しくあったことだ。三回の瞬き、というのはとても大事な役割を持っているものだから。
    「今、火星と地球の間の距離が一番近くなっているんだ」
     彼の落ち着いた声が、今日のお天気を話すぐらいの気軽さでそう始めた。そうは人に知られていないだろうし、仮に知られていたとしても重要視はされていないだろう、そんな星の話を始めた彼に、私は自然と、頷きをもって答えていた。世の中にとってはそうでなくっても、火星と地球の距離というのは、私にとってはひどく大切なことだった。とても珍しいという程ではないけれど、ありふれているとも言えない、そんな天文のイベントを自分の目で確かめに出たために、私は交通事故に遭ったのだ。夜中に無断で家を抜け出したことを、望遠鏡を持っていった目的を、両親には咎められたけれども、私は自分が悪かったとはちっとも思っていなかった。敢えて言うのなら、運が悪かっただけだ。
    (火星人と私 より)

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