大阪府茨木市の路地裏に、静かに佇む小さな喫茶店『栞(しおり)』。
マスターの和也は、完璧に整えられた店内で、最愛の妻・栞と娘の陽葵の気配を感じながら、日々変わらない規律の中で珈琲を淹れ続けていた。
二人の歩みは、十七歳の秋、あの放課後の図書室から始まった。
互いの不器用な孤独をハミングで埋め合うように寄り添い、大学生の苦い修行時代を経て、やがて二人で金物屋の倉庫から見つけてきた古い真鍮のレジスターと共に、念願の小さな店をオープンさせる。
それは、泥臭い努力の末に掴み取った、光に満ちた幸せな日々の始まりのはずだった――。
しかし、今、和也が営むその平穏な日常はどこか無機質で、冷たい「空白」を孕んでいる。
ある日の閉店間際、あの思い出の真鍮のレジスターが突如としてエメラルドグリーンの光を放ち、狂ったようにロール紙を吐き出し始めた。
そこに刻まれていたのは、和也の知らない「三年間分の、家族の現実の記録」だった。
――あの日、叩きつける雨の夜。俺が家族を守るために下した選択の結末は、どこにある?
完璧で孤独な「夢の世界」から、不完全で、痛みに満ちた、けれど愛おしい「現実」へ。
青春の葛藤から、失って初めて知る日常の輪郭までを圧倒的な筆致で描いた、心震える家族の再生の物語。
「当たり前の毎日が、実は一番脆くて、一番特別なんだ」
完璧な規律に隠された、あまりにも切ない「地獄の夢」の正体とは――。
青春の煌めきから、命懸けの選択のその先へ。
「今」という奇跡を生きるすべての人に捧げる、著者・武岡隆の渾身の感動作。