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人魚は歌う

  • D-47 (小説|ファンタジー・幻想文学)
  • にんぎょはうたう
  • けっき
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 100ページ
  • 800円
  • https://novelup.plus/story/49…
  • 2022/9/25(日)発行
  • 校内合唱コンクールで独唱者に抜擢された充瑠(みちる)は自分の歌の技量不足に悩んでいた。そこで歌えば人魚の声が手に入る──そう噂される岬にやってきた充瑠は不思議な声を持つ女性有多子(うたこ)と出会う。
    魔性の力で充瑠を支配する有多子。人魚の「声」と引き換えに人間の「足」を奪われた充瑠の日常は崩壊していく。
    やがてコンクールは終了し、充瑠は有多子に「声」を返すが……。
    不穏と暴力、夢と希望を詰め込んだ短編集。

    【こんな人におすすめ】
    ・物騒な話が好き
    ・ほのぼのした話が好き
    ・1冊読む間にいろいろな気持ちになりたい

    ◆以下表題作「人魚は歌う」冒頭部◆

     あの人を思い出そうとすると、いつも波の音がします。
     ざざぁん、ざざぁん……。一定のリズムを保って響く濤声。あの人はそれに合わせて歌うのです。
     私が彼女に会ったのは古い灯台がぽつんと立つ薄ら寂しい岬でした。
      一年前、私は校内合唱コンクールで独唱者に選ばれて、毎日うんうん悩んでいました。
      片田舎の高校で、合唱経験があるわけでもなく、人よりましな歌が歌えるというだけで白羽の矢が立ったのです。褒められたのが嬉しくて、初めは喜んで引き受けましたが、練習が本格化するほど私は憂鬱になりました。  ソロパートを持つ組はほかにも三クラスほどあって、どの独唱者も段違いに歌唱力の高い人ばかりでした。音楽室や体育館で利用の順番を待つ間、嫌でも綺麗な歌声が耳に入ります。それだけならいいのですが、お粗末な私の独唱を揶揄する声やクラスメイトを不憫がる声まで届くのが厄介でした。
      少しでも上手くなろうとして、でも学校の人たちに聞かれたくなくて、私は一人でこっそりと岬に練習に来たのです。
     ──ここで歌うと人魚の声を手に入れられる。
     そんな噂があったことも私の足を海へと向かわせたのでしょう。

     青い海、白い雲。セットのように語られるそれはきっと南の国のものです。
     私の知る海は大抵黒ずんで、空はと言えば曇天でした。  校内合唱コンクールは毎年十一月に開催されるので、彼女に会ったのは十月の終わり頃でしょう。
     潮風に髪を煽られながら私は歌を歌っていました。古びた灯台の周辺に人影はなく、最初は遠慮がちだった声も徐々に大きくなっていきます。恥ずかしいという思いを忘れて歌えたのは随分久しぶりでした。
     歌のほかには鷗の声と高波の音が響くだけ。思いきり喉を開き、私はとても楽しかったのを覚えています。思えば他人と比べるまで、私にとって歌はただ身体をのびのび動かしてくれる子供の遊びと同義でした。
     そう、私は背丈ばかりがすくすく伸びた子供だったのです。だからでしょうか。普通の女なら危険と見なして避けるはずの海の外れになど来たのは。
     観客の存在に気がついたのは一曲高らかに歌い終え、ふうと息をついたときです。
     ぱちぱちぱち。突然降ってきた拍手に私はうろたえました。  見上げれば灯台の窓から腕が覗いています。  誰かいたのだ。下手くそな歌を聴いていたのだ。そうとわかると私はすぐに駆け出しました。
     からかわれたら二度と人前で歌えない。強く直感したからです。
     でも私は、結局そこから動けなくなりました。
    「──待って」
     呼び止めたのは柔らかな声。それなのに私は足に太い杭でも打たれたかのようでした。
     砂に波が染み入るように、耳の奥、骨の髄まで言葉がそっと染み入ります。言われた通りにその場に留まってしまいます。
     人魚の声だと思いました。 漁師を惑わし、一瞬にして心を奪う。
     私は縫い止められたまま、頭上からカンカンという足音が近づいてくるのを聞いていました。
     きっともう私は彼女に魅了されていたのでしょう。美しく甘いその声に。
    「歌を練習していたのは君?」
     灯台から出てきたのは二十代半ばほどの快活そうな女性でした。声の妖艶さとは裏腹に服装はさっぱりとし、長い黒髪もさらさらと重苦しくありません。
     なんだ、普通の人じゃないか。直前まで「もしかしたら本物の人魚かも」などと考えていた己を恥じ、私はこくりと頷きました。
    「そうです、あの、もうすぐ学校で合唱コンクールがあって」
     ご迷惑おかけしてすみません。頭を下げると女性は笑って首を振りました。「その制服は三崎高校のだね。だったら私の後輩だ」続いた台詞は私にとってありがたいものでした。同じ学舎で過ごした人なら私の騒音も免罪してくれる気がしたからです。いえ、そうでなくても彼女の声には私をホッとさせる響きがありました。
    「一人で来たの? 君、名前は?」
     普通の質問のはずなのに、私の胸はなぜだかどきどきしていました。
     普段なら知り合ったばかりの相手に自分のことをぺらぺら話すなどしません。それなのに私はすんなり名を名乗り、聞かれるがまま学校での悩みを明かし、なんでもかんでも彼女の問いに答えていました。
     波がさざめくような声には「応じなければ」と思わせる不思議な力が宿っていて、私には黙り込むなど到底できなかったのです。
     岩尾有多子だと彼女も私に自己紹介をしてくれました。頼まれて古い灯台の様子を見に来ているのだと。 「上がってみる?」彼女は誘ってくれました。その声が耳朶をくすぐると私は何も考えられず、気づけば「はい」と頷いていたのでした。

     ***

     ざざぁん、ざざぁん……。
     あの人を思い出そうとすると、いつも波の音がします。
     有多子さんはさっそく私を灯台の展望台へと案内してくれました。
     等間隔にいくつも並ぶ窓からは暗い海が見下ろせます。入江の岩場には荒い波が打ちつけて、強い風が浜辺の松を揺らしていました。
     有多子さんは先程ここで私の歌を聞いたそうです。思わず拍手を贈るくらい自然体で良かったと褒めてくれました。にこやかに微笑まれても私の気持ちは複雑でしたが。
     私が楽しく歌えていてもコンクールでは無意味でしょう。クラスの皆に恥をかかせたくもありません。
     それでも彼女が「気に入った」と私を評してくれたことは大いに励みになりました。歌に関しては私の幼い自尊心はすっかり傷ついていたので。
     私たちは同じ窓辺に肘をつき、お喋りを楽しみました。ほとんど私が日々の不満を零していただけですが、有多子さんは相槌でさえ私の心を惹きつけて、どんどんと色んな話を聞き出してしまいます。
     歌も歌ってくれました。彼女が高校二年生のとき、やはり合唱コンクールで独唱者に選出され、よくこの岬に練習に来たそうです。
    「ここで歌えば人魚の声が手に入るって噂があったんだ。結局一度も人魚には会わなかったけど──」
     そう言って有多子さんが響かせた歌はぞくぞくするものでした。

     うるわしおとめのいわおに立ちて
     こがねの櫛とり髪のみだれを
     梳きつつくちずさぶ歌の声の
     くすしき魔力に
     魂もまよう

     私は魂を取られたようにその場に立ち尽くしていました。
     自分もコンクールのために歌っている歌なのに、同じ曲だと気がつくまでに何時間もかかったような気分でした。
     人魚の声が欲しかったのは人魚の歌を歌うからです。幻想的で、蠱惑的で、数多の人間を虜にする──そんな声が。

     こぎゆく舟びと歌に憧れ
     岩根もみやらず仰げばやがて
     浪間に沈むるひとも舟も
     くすしき魔歌
     うたうローレライ

     呼吸も忘れて私は歌に聴き入りました。歌が終わっても静寂の中に波打つ余韻に浸りました。
     初めて本物の歌を知った私はただ目を瞠り、有多子さんの艶めいた赤い唇を見つめることしかできません。

    ◆続きは本文で!◆

    ※作中に登場する合唱曲はハイネの『ローレライ』、著作権の切れた明治時代の訳のものです

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