TB-01「白と黒の勇者」
白と黒の勇者
呼吸が荒い。
沖原マイキは息苦しさに胸を押さえ、溺れる人間のように喘ぐ。
ほんの瞬きの間に、通い慣れた通学路の様子は一変していた。
アスファルトは爆ぜ割れ、幾筋もの亀裂が走って下の土が露出していた。亀裂はそのまま周囲の家屋にまで走り、壁を砕いている。
地震後のようだ。漠然と、そう思う。
周囲の様は、ニュースで見た災害現場と酷似している。
だが、これらは自然災害などではなかった。
事態を招いたのは、単眼の化け物。
化け物は、二階建ての家並みを軽く見下ろせるほどの巨体で、蜘蛛に似た先の尖った四つ足をしている。上半身は人のようで、頭部を模した丸い塊には赤い眼がひとつ、光っていた。
単眼の化け物は突然、空から降って来た。唖然とする人を尻目に化け物は手にした銃を構え、そこから放たれた熱線で、街は炎に包まれた。
化け物は、機械だった。
マイキの好きなテレビアニメ風に言えば、人型ロボット、とでも呼べそうな風貌をしている。
そんなものがテレビの枠から飛び出し、市街を好き放題に蹂躙していた。適当に、目的もなく、ただ手にしている武器の威力を試しに来たとばかりに。
実を言えば、マイキも化け物が放った熱線にやられていたはずだった。ちょうど、少年の脇でぶつぶつと音をたてて溶け崩れるアスファルトと同じように、真っ黒になって焼け死ぬところだったのだ。
「おい、しっかりしろ!」
そうならなかったのは、マイキを助けた者がいたから。
肩を揺すってくる、しっかりとした男の手。叫ぶ声には無反応なマイキに対しての苛立ちも含まれている。
「立て、立って走るんだ!」
男は倒れた姿勢のまま、片腕で上半身を支え、残った腕でマイキを揺さぶっている。
「早く逃げろ!」
マイキはゆるゆると顔を上げ、男を見た。男は二十歳くらいで髪は短い。きつくマイキを睨んでいるが、全体的にどこか幼さが残っている顔立ちだ。
薄汚れた服。黒っぽい、身体に密着した生地。海に潜る際に着るスウェットスーツに似ている。
そして、青年の足には、マイキの腕ほどの破片が突き刺さっていた。
金属片。どこかの家屋で破砕した窓枠かもしれない。そんなものが矢のように左足に食い込んでいる。
他にも青年は全身に、大なり小なりの傷を負っていたが、そこが一番ひどかった。黒いズボンにじんわりと濃い染みが広がっていく。
揺さぶられても無反応なマイキに、青年は眉間にしわを寄せる。
青年が苛立っているのはわかったが、認識はできてもマイキには、そこからどう行動すべきなのかわからない。ただ呆然と、目の前の光景を視界に入れるだけ。
火の塊になった家屋。雨樋が熱に溶けて垂れ下がり、炎の勢いに負けて落ちた。炎は煙を生み、空に昇った煙は青空を白灰色に染めていく。
と、動けないでいる二人を狙うように、化け物のキャノン砲がこちらを向く。充分に距離はあったが、あの重火器が一度火を噴けば、マイキたちを含む付近一帯が熱波で焼き尽くされるだろう。
青年は背後の様子に気がつき、さらに渋面を作る。
「っ、ちくしょうめ」
悪態を吐きながら、青年は足に刺さった破片に手をかけた。獣のように低い唸り声を上げながら、金属片を一気に引き抜く。喉の奥からくぐもった呻き声が漏れた。
見るからに痛々しい光景だったが、マイキは目をそらすことができなかった。
ズボンの破れ目からのぞいているのは……
「見るな!」
叩きつけられた激しい声に、マイキはびくりと肩を震わせた。
青年は破片を無造作に捨てると、よろめきながらも立ち上がる。次に、脇に座り込んだままのマイキを肩に担いだ。傷が痛むのか、歯を食いしばっている。
「……動くなよ」
言って、青年はぐっと身を縮めると、バネのように飛び上がった。
一気に、二階の屋根まで。
「っ、わあああああっ!」
「うるさい、黙れ!」
反射的に出た悲鳴を、青年は苛立ち混じりにさえぎる。
その間にも、景色は流れて行く。とんでもない速さで。
マイキは思わず青年の服をつかんで身体を支える。もっとも、そんなことをしなくとも、少年を支える腕は痛いほどに強く、何があっても外れそうになかった。
強い力に息苦しさを覚えながら、どうにかしてマイキは顔を上げた。
視点が変わったことで、街並みがよく見渡せるようになる。
どこもかしこも焼け崩れていた。
マイキは無意識にお守りのペンダントを握りしめる。革ひもの先についた、石の飾り。掌にひやりとした感触が伝わり、その冷たさにほんの少しだけ息を吐く。
呼吸を落ち着けたところで、荷物のように青年の肩に乗せられ、上下に揺さぶられている状況は変わらなかったが。
それでも、マイキは肩を震わせながら青年の足に視線を動かす。
金属片の突き刺さっていた個所からは、液体が漏れて彼の行き過ぎた後に点々と散っている。
傷口に目をやって、マイキは身体を強張らせた。
先ほど目の当たりにした何かは、見間違いではなかった。
青年の身体の内部は、機械だった。
破れた皮膚の中から金属的な表面がのぞき、さらにその穴からケーブルの束がこぼれ、ぺらぺらと情けなく揺れている。流れる液体は赤かったが、血液とは性質が違うように思えた。
マイキは顔を上げる。
立ち上る黒煙と塵で、晴れていた空は墨のように濁り始めていた。
なぜ、街がこんなことに。
あの化け物は何なのか。
この青年は何者なのか。
疑問は後から後から溢れ出てくるが、街を焼く熱気に煽られたのか、頭の中がぼんやりと熱を持って思考がまとまらない。
まるで、夢の世界に放り込まれたような気分だった。
だが、少年の髪をなびかせる風や火薬の匂い。炎の赤さ。地を揺るがせて迫り来る化け物の足音。それらすべてがこれは紛れもない現実だと大合唱していた。