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息影(枯縁文庫)

  • 南1-2ホール | R-40 (小説|純文学)
  • いえい
  • コガイ
  • 書籍|文庫判(A6)
  • 22ページ
  • 200円
  • 2026/6/1(月)発行
  • 小説 | A6(本文22P)

    毎日毎日、誰かが何処かで死んでいる。(前作『夏鴉』引用)
    ——それでも人間は一日一日を摘んでゆく。
    「……人間ってさ、鋏に似てるよね」
    「上手に扱えばなんでもできる。けれど、その扱いを間違えれば人を傷つける」

    マット加工の表紙と遊び紙を使用した文庫本です。
    表題『息影(いえい)』『枯縁市役所夜黙課 十一月某日』『枯縁市役所夜黙課 緋城にて』ほか、書き下ろしの前日譚『帰る場所』を収録。

    2025.06.01. 初版発行


    (試し読み)
    「運悪く、雨に降られちゃったんだ」
     開口一番。顔を上げると、眼間の扉前に長身痩躯、見慣れた黒いコートを着た男——御影が立っていた。肩より下は雨に濡れ、より重たい漆黒となり、季節外れのよひらの香りを纏っている。
     樹が雨、と聞いて改めて耳を澄ませてみれば、確かに遠くで雨垂れの音がしとしとと響いていることに気が付いた。古傷の疼痛は冬の空気の所為ではなかったらしい。彼は数年前、怪我を理由に仕事を辞めてから、車椅子と共に日々を過ごしている。
     場所は廃業した或る喫茶店。樹は二年前、この居抜き物件を購入した。喫茶店として再利用するわけでもなく、登記もしていなければ看板も出していない。
     店内は古木と煙草の残り香が静かに沈殿した、小さな箱のような空間だった。喫茶店だった頃の名残であるカウンターには数脚の丸椅子が並び、窓際には二組だけ、擦り傷だらけのテーブル席が置かれている。樹は店を買い取った後、空いた壁に本棚を増やした。今では剥き出しの梁から薄暗い天井際まで、無数の本が隙間なく収められている。奥には簡素な寝台があるものの、生活の痕跡らしいものは殆どない。人が暮らす為ではなく、話を蒐集する為だけに息づく、言葉の海に沈む部屋。
     御影は古木の床を、幽霊のように音も立てずに踏んだ。それから、壁面の棚に収められた無数の本の背表紙を視線で軽くなぞる。訪問の都度、満ち満ちてゆく樹の蔵書を眺めることは彼の習慣だった。

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