こちらのアイテムは2026/5/4(月)開催・文学フリマ東京42にて入手できます。
くわしくは文学フリマ東京42公式Webサイトをご覧ください。

G-W-G(minus)10

  • 南1-2ホール | Q-51〜52 (評論・研究|文芸批評)
  • げーヴぇーげーみーぬす10
  • G-W-G編集委員会
  • 書籍|A5
  • 222ページ
  • 500円
  • https://x.com/G_W_G_minus
  • 2026/5/4(月)発行
  • 5月4日、『G-W-G(minus)』10号刊行。特集は「噓」。
    資本主義は真偽を語りたがる主体を絶えず生産する。文学において、その真偽を超えた「噓」は可能なのか。
    佐藤究氏との「フィクション」と「タクティクス」をめぐる座談会の他、近現代文学と「噓」をめぐる論考を掲載。編集委員:位田将司、立尾真士、宮澤隆義 *文フリ東京【Q-51・52】 表紙デザイン:坂本麻衣(sakamoto design)

    〈目次〉

    ◆巻頭言
    ◆座談会:資本主義と文学のタクティクス  佐藤究・位田将司・立尾真士・宮澤隆義

    今日、本当に「嘘」をつくタクティクスは存在するのか。佐藤究氏を迎え、文学におけるタクティクスの問題をめぐり、暴力と供犠、フィクションと詩、量子力学から金融資本主義、そして天皇/制に至るまで大いに語り合った。

    論考

    ◆イメージは矛盾を突きつける――大岡昇平『幼年』『少年』からの断想  宮澤隆義

    金融と住宅市場の密接な関係は、現代資本主義の機軸となっている。第一次大戦が勃発する1910年代、父親を通し金融資本と住居に振り回された記録として、大岡昇平の自伝『幼年』『少年』を読む。そこには資本流入により奇怪に膨張する渋谷と、その中を彷徨う少年の姿が刻まれている。

    ◆アハハアハハバハッ!――大江健三郎『同時代ゲーム』と『M/Tと森のフシギの物語』をめぐって  立尾真士

    大江健三郎『同時代ゲーム』から『M/Tと森のフシギの物語』への書き直しがもたらす暴力性の脱色は、近代天皇制から象徴天皇制への移行に照応する。そしてそれゆえ、『同時代ゲーム』が記す「バハッ!」や「アハハアハハ」にこそ、「皇后化」した天皇制に対峙する〈噓〉は読まれ得る。

    ◆ムラカミ、天皇を撃て!――村上春樹『1973年のピンボール』と「1969年のパチンコ」      位田将司 

    村上春樹は『1973年のピンボール』において、なぜ「ピンボール」を描いたのか。一方、「僕」が「直子」と出会った「1969年」において、奥崎謙三は「パチンコ玉」を天皇に向けて発射する。「ピンボール」と「パチンコ」を隔てる〈亀裂〉から、村上は「天皇を撃て!」という声を聴いていた。

    ◆噓の症例――西尾維新『猫物語(白)』  住本麻子 

    読書は何のためにするのか。作家は何のために書くのか。誰もが言い淀む難問だろう。そんななか、西尾維新は『化物語』を「百%趣味で書いた」という。〈物語〉シリーズにおける「噓」を分析し、ターニング・ポイントとなった『猫物語(白)』を読み解くことで、その難問に迫っていく。

    ◆資本主義のハンチバック――ケア小説論2 市川沙央『ハンチバック』論  ヒカリクラブ 

    『ハンチバック』は障害者による「当事者性の文学」ではない。ここで剥き出しになるのは、汚辱にまみれたものを引き受けるほかない唯物的なケアである。その無意識の真理に触れたとき、テクストもまた壊れる。その意味で、この小説は障害者の自己表象から遠いところにある。

    ◆「《ロマン革命》」を繰り返す――大地幹『月とピエタ』論  照山もみじ

    資本主義に「無かったこと」にされている「物語」を語るためにこそ《ロマン革命》は繰り返されねばならない。中島梓の「革命」の精神を大地幹『月とピエタ』に接続し、資本主義にトラブルを齎す「物語」の可能性を論じる。『中島梓と「やおい」の時代』(金子亜由美名義)を補う論考。


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