夫婦の文芸誌「海老原夫婦」VOL.1
文学フリマらしい、
文学フリマでしか出会えない
たった2人で作った文芸誌
――目次――
小説 浮き出して、白
対談 海老原夫婦の本音デート
エッセイ 山の上で食べる梅干しは甘いのか
恥談 穴があったら入りたい
詩 月
小説 宇宙と海のあいだの裏っかわ
小説 顔(坂下くん)
小説 夏にたゆたう
編集後記
――浮き出して白(冒頭試し読み)――
エンボス加工された花のイラストの上に、食パンの屑が落ちた。手で払いながらわたしが、「他のホテルもあったでしょうに」とつぶやくと、キッチンにいる母が「なにが?」ときいてきた。
「なんでもない」
そう答えるけど、その声は母に届かないくらいちいさいものだった。
幼稚園から高校までの同級生である亜矢美から結婚式に招待されていた。挙式からの参加をお願いされて、集合は昼前だ。お昼はコース料理になるからと、朝は食パン一枚で済ませようと思ったが、それでも、耳の部分がなかなか喉を通らない。パンの耳をくわえながら、わたしは鼻から息をもらした。
「いいなあ、メールポート。こんな機会でもないと行かへんところやもんなあ。あそこ、結構お高いホテルやろ?」
そう言いながら、母は椅子にすわると同時に食パンにかぶりついた。右膝を折り曲げて椅子の上に足をおき、左足はぶらぶらさせている。両肘はテーブルについているし、目はすでにテレビのニュースに釘付けだ。「行儀が悪い」と誰かの声が聞こえてきそうだが、わたしには、おなじみの光景だ。
「ブラン・ド・メール・ポートね、わたしが昔バイトしてたホテル」という言葉をパンの耳と一緒に飲みこんだ。質問するように話すのは母の癖のようなもので、話すというより独り言なのだということをわたしは心得ている。すべてに答えようとしたら、時間がいくらあっても足りはしない。
ほら、いまだって母は、きょとんとした目でわたしを見て、「花粉症の薬、買ってあったっけ?」ときく。わたしの返事を待たずに、母はうんうんうなずいて、「今年は、すごいってねぇ」と、またテレビに視線をもどして残りのパンを口に入れた。テレビでは、前年を上回る量の花粉の飛来を、未曾有の大災害のように報じている。
母はメールポートときいてもピンとはきていないようだった。
もう何年も前になる。わたしは深夜の清掃係としてメールポートで働いていた。三年くらいつづけた。朝、疲れて帰るとシャワーを浴びるべきか考えるのも億劫で、そのまま自室に直行し、床に倒れこむように寝てしまうような日々だった。ストッキングを履いた母の足音が床を伝ってよくきこえていた。玄関の方から、ひかえめな母の足音と「いってきます」という声をきっかけに、夢にまだなりきれない色の薄い世界の終焉を見届けた。母が独り言のように話すようになったのは、あのときからかもしれない。
「久しく結婚式なんていってないわ」とパジャマのズボンを穿いたまま言う母からは、休日を楽しもうという気合いが伝わってくる。
「ん!」
と、不意に母は喉から音を出し、ちょっと待ってというふうに両手で口をおおった。インスタントコーヒーを一口飲み、マグカップをゆっくりとテーブルに置いた。
「思い出した! あんたが働いてたホテルやない?」
うん、と言ってあくびがでた。あくび直後の顔が真顔すぎると妹に言われたことがあったな、と妙なことを思い出し、なんとなく前歯で下唇を噛む。
母がそうそう、と言いながらキッチンにむかった。食器をシンクに置く音がきこえる。それで、もう母の興奮は過ぎ去ったようだった。「イチゴ、食べる?」ときいてきたので、反射的に「食べないかな」と返事したけど、母はやっぱりわたしの返事なんて求めていなかった。イチゴのヘタをとる母の横に立つと、母は鼻歌をうたっていた。
わたしはきいた。
「お母さん、今日はまるまる仕事お休み?」
「イエース」
イチゴがのった皿には、フォークが二本添えてあった。
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