思っていることをそのまま言葉にする、それだけのことがなぜこんなにも難しいのだろう。心と口は、なぜいつもこんなにも遠いのだろう。想いをひとつの言葉に託すということは、ほかの無数の言葉を手放すということだ。
(「軽やかな諦め」)
いまの私は、共感がこわい。重なった気がしても、たいていはただ重ねただけだ。感情を横取りするような、その横暴さ。
(「あの娘わたしがTSUTAYAに行かなくなったと知ったらどんな顔するだろう」)
それきり私たちは言葉を放棄して、訪れた静寂に体を浸した。そのうち忍び寄るように、この沈黙に意味が伴うだろう。こんなにもなにもないのに、あとから感傷的な景色に書き換えられてしまう予感があって、おそろしかった。
(「きみはあなたのことではない」)
立ち上がって箪笥をあけると、桜色のカーディガンを持ってそばへ戻った。それをあなたの肩にかけたとき、その体の薄さにはっとして、また新鮮に狼狽える。
私は笹舟が沈むところを見たことがなかった。それはどれほど静かな沈没だろうか。
(「水際」)