▽魔女、子どもを拾う
アビゲイルは墓守りの魔女である。厳重に結界を張った森に住み、森の奥に眠る死者たちを弔っている。アビゲイルがこの森に棲み始めて、数百年。変わらない日々の営みが続いてゆくはずだった。
「アビー、森の入り口ににんげん!」
朝の光を浴びながら、アビゲイルは夜の底にある墓場から戻ってくる。夜通し墓守りをしてきたところだった。夜の色をした髪が風に揺れている。丈の長い黒いコートの裡に黒いショートパンツ、黒いロングブーツを隠している。夜の残滓を纏ったままのアビゲイルを待っていたのは、烏の姿をした魔獣のロクだった。小屋の前に吊り下げられた鳥籠の上に捕まって、カアカアと鳴いている。ロクは人語を解す、アビゲイルの使い魔だった。烏の魔獣の群れのなかで人語を解す個体が現れると、アビゲイルの使い魔になる契約をはるか昔に結んでいた。今は六代目なので、ロクと呼ばれている。
「あたしは疲れて、眠たいんだ」
「まだ、こどもだ! ちいさい!」
キイキイと高い声で囀るロクの言葉に、アビゲイルはちいさく舌打ちをした。赤い瞳が苛立ちを孕んだ強い光を放つ。森の中に入って来ることができるのは限られた人間だが、森の手前までは誰でも辿り着ける。そして、そこには彼らが不要と判じたものが――物も人も関係なく――よく、置いていかれるのだった。
大人であれば放っておくが、今回は子どもだと言う。腰まである長い髪を適当に三つ編みにしてまとめる。面倒だな、とアビゲイルは吐き捨てて、それでも森の入り口の方へと足を向けた。トン、とブーツのヒールで地面を打ち付ける。本来であれば、魔法陣を展開し転移先の座標を魔術具で指定する必要があるが、ここは魔女の結界の内側。アビゲイルの領域のなかでは、魔術は思うがままに使うことができる。そのまま、森の入り口へと瞬時に移動する。確かに、境界に植えられたナナカマドの木の下に蹲る影があった。ゆるやかな足取りで近づいてゆく。何かに気が付いたように、その影が顔を上げた。ほう、とアビゲイルは微かな息を漏らした。聡い子だ、と感心する。薄汚く汚れた髪のあいだから、碧の眸が覗く。そのまなざしがアビゲイルを貫いた。それは、アビゲイルが知っている色によく似ていた。ひととき息を止めたのち、そのまなざしはゆるやかな動作で瞼の奥に隠れてゆく。それを、惜しいとおもった。
だれ、と弱々しい問いかけが落とされる。それに、深いため息で返し、アビゲイルは結界の外へとすり抜けた。五歳くらいの子どもの隣にしゃがみこむ。襤褸のマントか外套に辛うじて包まっている子どもは、肩まで伸びた髪で顔が隠れている。
「あたしはアビゲイル。この森に棲む魔女。気まぐれに助けてやっても良い。生きるか、死ぬか、選ぶんだ」
その言葉に、子どもがちいさく震える。そして、今にも掻き消えそうな声で、いきたい、と紡がれるのを、アビゲイルは確かに聞いた。
「いいぜ、これは特別だ」
とくべつ、に力を入れたアビゲイルは、その子どもを抱える。想像よりも軽い体重と細い身体に、舌打ちをひとつ。親か周囲の人間か。虐げられてきたのだろう。その相手に苛立ちを覚える。子どもを大切にできない人間が、アビゲイルは嫌いだった。
ふたたびするりと結界の内側へと戻る。アビゲイルの領域に戻ったところで、ブーツのヒールを地面に叩きつけた。魔女と子どもの姿はその場から掻き消えた。
暖炉の前にクッションを置き、連れ帰った子どもを毛布で包んで横たえる。ここが一番あたたかい。眠る子どもの顔を視線でなぞる。とん、とゆびさきで軽く腕を叩き魔術で身体を綺麗にした。薄汚れた髪が、銀灰に色を変えた。魔力の気配が良く似ている人のことを思い出し、ちいさくため息をついた。顔を出した懐かしくも切ない思い出をふたたび、丁寧に胸の奥に仕舞いなおす。思い出したくないわけではないが、哀愁に浸るのは今ではない。
「えーっと、ここら辺に」
作業机の脇の棚にはたくさんの瓶が並んでいる。ラベルのない瓶たちをゆびさきでなぞり、透明な液体が入った目あての瓶で手を止める。アビゲイルはそれを取り出した。
水差しからコップに水を注ぎ、透明の液体を数滴垂らす。それは回復の効果がある魔法薬だった。魔女や魔術士のように魔術を使うことはできないが、人間も空気や食べ物から微量の魔力を体内に取り入れている。拾ってきた子どもは体内に魔力が殆ど残っていなかった。こういうことは時折あった。魔法薬は枯渇した魔力を回復させ、体内の異常も正常に整える効果がある。
匙で子どもの口元に少しずつ運んでゆく。ゆっくりと丁寧な手つきでそれは行われた。真剣なまなざしで。仲間が見たら笑うだろうな、とアビゲイルはぼんやり思ったが、手を止めることはなかった。
それが終わると、切った野菜と水を鍋に適当に投げ入れ、暖炉にかける。「頼むぞ」と声をかければ、火が揺れる。それらすべてを魔術で済ませると、アビゲイルは欠伸をひとつふたつ溢した。夜中の墓守りの後だった。疲労感で身体が重い。暖炉の近くに置いた椅子に腰かけると、アビゲイルも微睡むことにした。窓から入る光があたたかい。
瞼を閉じたアビゲイルのゆびさきに何かが触れる感触がした。あたたかい。おかしな気配ではない。そうであれば、アビゲイルは目が覚めるから。むしろ、身体が軽くなるような心地がした。
ゆるやかに目をあけると、アビゲイルのゆびさきに狼のかたちをした影が鼻先を擦りつけていた。なるほどな、とアビゲイルは何が起きたのかを理解する。この狼は、魔力や魔瘴を吸収し糧にする魔獣だった。魔瘴とは、魔術を行使した際に発生する膿のようなもの。魔瘴は自然と浄化されていくが、大きな魔術や長時間に及ぶ魔術を行使すると自然には浄化できないほど蓄積される。その解決策はいくつかあるが、そのひとつが魔瘴を糧とする魔獣に食べさせることだった。
この狼は何の因果かこの子どもを宿主として定め、影のなかに潜んでいたのだろう。子どもは魔力を狼に食べられて枯渇していた。そして。この狼は狼なりのやり方で宿主を守ろうとして、子どもの周囲の人々を襲ったり、人間には理解できないような事象を巻き起こしたりしてきたことは想像に難くない。この森に捨てられていたことも納得ができた。
「おまえも、苦労したんだな」
アビゲイルは狼の頭を軽く撫でる。
「この森のなかは安全だ。好きに駆けてくると良い、ただ、墓には手を出すな。おまえは頭が良い子なんだろう、分かるな?」
その言葉を理解したように、狼はアビゲイルの手に鼻先をふたたび押し付ける。そうして、小屋から飛び出していった。
「ロク、念のため、着いていきな」
「いし!」
その言葉にため息を溢しながら、アビゲイルは作業机に積んであった石をひとつ、ロクの方へと放り投げた。それはアビゲイルの魔力を籠めた石で、太陽の光に反射してきらりと光った。それを逃さずに嘴で捕まえたロクは、狼の後を追うために大きく羽ばたいていった。ロクは魔力の摂取のために、あの魔法石を好んで食べる。なによりロクはきらきらしたものを愛している。アビゲイルはふたたび、椅子に座りなおし瞼を閉じた。
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