日芸生と東京芸大生による文芸誌・空地(あきち)は、日常的な営為としての書くことを実践する場として、半年に一回、合同誌を発行しています。
今号は、6人の同人が夏を通して書いた6本の文章が掲載されています。
【目次】
安孫子知世「2025年夏のtoo young to die」P.5
壹岐悠太郎「レクチャー:拝啓、これから現代詩をはじめるあなたさん」
今井詩乃「ハッピーインディペンデンス・マレーシア」
中村渚「ここにいない「わたし」と、埴谷雄高『死霊』について」
藤原尭大「ウィークデイズ・ドライバー」
松崎太亮「日記とその注釈(抜粋)」
【編集後記より】
大一からはじまったこの雑誌も7冊目になり、われわれも4年生になった。4年生の夏は忙しい。それぞれが各々の卒業制作に追われている。なので、今夏の号は見送りかな、とおもっていたのだが、いや、何か居心地が悪い。毎日つづけていたランニングをサボったみたいな罪悪感がある(罪悪感、というほど大げさなものでもないが)。何でなのか、ということを考えてみると、この雑誌をやっている理由の根本が、“文章を書く”という営為を習慣化することにあるからだ。文章とは日常の中で書かれるべきもので、何かしらの特権性を持つべきではない、と私は考えている。そして、そのための場として空地はある。