僕たちは小説を丁寧に読んでしまう。
映画を見るときは、「画面の下に犯人が配置されているのが重要なんだよ」と語ってしまいたくなるし、漫画を読んだらコマ割りの上手さにため息を漏らしてしまったりする。
もちろんそれは素晴らしいことだ。作者や作者を取り巻く人たちが魂を込めて作った作品を骨の髄まで味わおうとすることに、何も恥じることなんてない。それは正しい鑑賞だと思うし、「目を凝らさなければ見えないもの」から立ち現れるフィクションの美しさはいくら語っても語りきれない。
でも、僕たちは時々思う。
それだけだと僕たちはいつになっても作品を作り上げられないのではないか? 「これで物語になる」と思えるフィクションの核のような部分を、僕たちは取り逃しているのではないか。
そんなことを思うのは、僕たちが「小説を書きたいのに書けない」人間だからだ。四六時中古今東西の物語のことを考えていて、むずかしい批評や考察も楽しんで読めるのに、「実際につくる」ための勘所を掴めていない。
だから目が覚めるようなアイデアが浮かんでも、ひとつの作品として作り上げることがうまくできない。着想もいいし、細部への目配りもきちんとできているけれど、まだ「作品」になっていないね——心の中の編集者が、僕たちにそう嘯いてくる。
この本では、そんな状況を乗り越えるための方法を探っていくつもりだ。丁寧に読むことを一度脇に置き、大雑把に本を読んでいって、その作者が「これなら小説を書ける」と思えた直感のようなものを、自分たちなりに妄想して言語化していく。
たとえば——ちょっと内容を先出してしまうけれど——、この本では、誰が読んでも緻密に作り上げられたあの大江健三郎の短編小説を「これは奇妙なバイトに参加するんだけど、それがパーになる話なんだよね」とざっくりまとめたりすることになる(『奇妙な仕事』)。そう聞くと、なんだかちょっと書ける気がしてくるのは僕だけではないはずだ——