家のサボテンは夜な夜な鉢から抜け出してどこかに行っているらしい。
気が付いたのは最近の事だ。もう何年も家の窓際に鎮座しているサボテンとの距離感は心得たもので、最近は土の状態を細やかに観察しなくても水やりのタイミングがわかるくらいの仲になっている。特区で育ったサボテンであるから、テレパシーでも備わっているのかもしれない。
そのサボテンに蕾が付いた。寸胴な体の上にピンク色の花がちょこんとついている。このサボテンを育て始めてから初めてのことだった。サボテンに花が咲く、それは知識として知ってはいたものの、花が咲くのは何年も時間が必要だとも聞いていた。この家の環境が良かったのかもしれない、窓が南向きで暖かいからかな? そんなことを思って、思わず笑みがこぼれる。サボテンの花が咲くことは私の楽しみになっていた。
いつ花が咲くだろう……と、サボテンを覗き込んでいるうちに気が付いたことがある。なぜか根っこの生えているあたりの土がぼそぼそとほじくられたようになっているのだ。水を上げた際に土が動いたのだろうか。サボテンにあまり刺激を与えたくないが、爪楊枝でこそこそと土をならす。なんだろう、あのもそもその土。それからなんとなく気になって、土の様子を毎日観察するようになってしまった。せっかく花が咲くのだ。枯れませんように。
土の観察をしてしばらくすると、夜に観察したあとの翌朝に、かき回されたように土の様子が変わっているのがわかった。やはり、土はほじくり返されて、埋めなおしたようになっている。私のサボテンに何か不穏なことが起こっている……、と会社の同僚に相談した。
「それ、化けサボテンになってるかもよ」
「化けサボテン?」
同僚曰く、長年生きて花が咲くようになったサボテンは自分の意志を持つようになり、月夜の夜に集会をして持ち主をいつ食うかの相談をしているのだそうだ。持ち主を食べてしまえば本物の化けサボテンとなり、強大な力を得るらしい。もちろん、根っこを引き抜いて抜け出しているのだから、戻ってきた後の土はうまく埋められていないだろう。
「化けサボテンねえ……」
「あ、信じてないでしょう!」
同僚が眉を吊り上げて、その日の昼休みは終わった。
化けサボテンの話を信じていないわけではない。私が育てているサボテンの原産地はおそらく特区だ。怪異やモンスターがはびこるこの街では、植物が化け物になってもおかしくはない。
しかし、百円均一ショップで買った安物のサボテンである。しかも、数年前に購入したものだから、芽が出てからたかだか五、六年と言ったところだろう。化けサボテンになるにしてはまだ若すぎるのではないだろうか? そう考えると、まさか、うちのサボテンが……と、疑問を持たずにはいられないのだった。
化けサボテンの集会は月夜にあると同僚は話していた。育て主が寝ている隙に集まって、会合をしているに違いない。会議の結果次第では、その夜のうちにサボテンに食べられてしまう持ち主もいるのかもしれない。
私はサボテンが集会をしているのか確かめてみることにした。ちょうど、今日は月が輝く夜だ。
夜。
私は早めに布団に入る……フリをする。時折、薄目を開けつつ、サボテンの方に寝返りを打ちつつ、窓際に動きがないか見ていた。今日はカーテンの隙間を少し開けている。なにか動きがあればベッドの上からでも確認することができるはずだ。
窓の外で雲が動いて月が隠れ、部屋の中が暗くなった。それも一瞬のことで、再び月が出て室内が照らされる。
窓辺に置いてあったサボテンがいない。鉢はそのままに、とげとげとしてもったりとしたシルエットだけが忽然と姿を消していたのだった。
***
朝になるとサボテンは元の場所に戻っていた。やはり、土の表面は荒れていた。
──やっぱり、サボテンが夜にどこか行ってるんだ!
私は次の満月の日に、追いかけることに決めた。
満月の夜。
私は先日の夜と同じように、早めに布団に入って狸寝入りをする。しばらくして薄目を開けると、やはりサボテンは鉢からいなくなっていた。ごろごろと寝返りを打つフリをして周囲の様子を伺うと、フローリングの上を短く太い根っこで歩く影を見つけることができた。まん丸でとげがある、頭に蕾のついたサボテンは、間違いなく鉢に植えられていたサボテンだった。
寸胴な体が器用にもドアノブを回してぴょんぴょんと外に脱走するのを見届けた後、私も布団からはい出し、彼女を追いかける。月明かりに照らされた道路の真ん中には緑色の小さな姿がひょこひょこと踊っていた。今まで、よく人間に踏まれなかったものだ。そのサボテンの小さな姿を見失わないようにしながら、ばれないようにそーっと抜き足をする。行き先は路地の先にある空き地らしい。集会をするにはぴったりの開けた場所だ。
見つからないように背を低くして入口から空き地を覗くと、そこには空き地を埋め尽くすほどの植物が広がっていた。緑の蔦や茂る葉っぱ。色とりどりに花をつけたものもいる。まるで、不思議な国のアリスの花の園のようだった。
植物たちは何を話しているのだろう。耳を澄ませてみると、新しい肥料の話や、季節による太陽光の角度の話、それから、持ち主の愚痴などを口々にしていた。
その様子が愛らしくて、笑みが浮かんでしまう。植物たちもいろいろな話をするんだな。南地区の角にある花屋の肥料が美味しいだなんて初めて知った。今度、うちのサボテンにもかけてあげよう。
思わず、ふふふ、という笑い声が漏れ、口を抑えた時にはもう遅い。その場にいた植物全員がぐるりと振り向き、私の姿を確認するや否や、鎌首をもたげてきたのだ。
「見たわね!」
「人間だ!」
「捕まえて!」
ポトスの蔦がするすると伸び、ディコンドラの葉が一気に足元まで生えてきた。あっという間に脚に絡みついたハマナスの細い枝のとげがくるぶしにちくりと刺さる。目の前には、ゴーヤのグリーンカーテンが迫り、網のように広がっている。
「ご、ごめんなさい~!」
絡みついた茎を振り払って逃げる。何本か足で踏んでしまい罪悪感があるが、襲われているのだから勘弁してほしい。
「植物にしてやる!」
緑の生物たちは束になって、私を追いかけてきた。どこから声を出し、どんなエネルギーで私を追いかけているのだろう。植物たちは足が速かった。とうとう追い付かれてしまい、何かの蔓に足を引っかけられて転んでしまった。ざらざらの触手たちが手足を拘束し、私は道路の上をずるずると引きずられていく。
──ああ、このまま植物にされるんだわ。
植物にされたらどうなるのだろう。顔が緑になるのかもしれない。できればお花が咲く植物がいいわ……。この期に及んでのんきなことを考えて、あきらめていた、その時だ。絡みついた柔らかな蔦をずるずると絡めとり、引きちぎる音がした。身体を取り巻く茎と葉が緩んだのを感じて、私は逃れるように這って逃げる。。
何が起こったのだろうか。月明かりのなかで、華麗に回転している影が飛んでいた。
私のサボテンが──間違いない、ずっと観察していた花の蕾だもの──とげを使って蔦を切り舞っていた。
「逃げなさい!」
その声に突かれるようにして、私はその場から逃げた。走って家に辿り着く頃には朝日が昇りかけていた。呼吸を整えて、再び空き地まで戻ってみたが、植物の影はなかった。
家のサボテンはどこに行ったのだろう。
鉢には何かが抜け出た後が残っているばかり、夜になっても、次の日の朝になっても、サボテンは戻ってくることはなかった。
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