皆さん、こんにちは。
#綾活(あやかつ)の難波真実(なんばまさちか)です。普段は「三浦綾子記念文学館(北海道市7条8丁目2番15号)で働いています。
このたび、「#綾活文庫」を創刊する運びとなりました。その第1巻を発行することができ、大変嬉しく、光栄に思います。#綾活文庫は、「#綾活民」(#綾活に参加しているメンバー)が自由に発行できる媒体です。それぞれの特色を活かした内容で刊行していきますので、楽しみにお待ちください。
この冊子は、文学フリマ( https://bunfree.net )と、著者の手渡しで頒布をおこないます。入手をご希望の方は、文学フリマ(おもに東京と札幌)にご来場くださるか、X(旧Twitter)などで著者に個別にご連絡ください。
さて、今回のテーマは「雨の日に読みたい三浦綾子作品」です。『氷点』や『塩狩峠』などで有名な三浦綾子ですが、小説作品は計55、エッセイなどを合わせると全体で130作品あります(本の後半に一覧を載せていますのでご覧ください)。その中から、雨の日の雰囲気にぴったりな作品を選んでご紹介します。シリーズその1は、『雨はあした晴れるだろう』。初期に発表されたジュニア小説で、一人称の日記形式で書かれた作品です。
ご紹介といいましても、解説では味気ないと思い、実際に読んでいただくことを主眼にしました。そこで今回、〝演読(えんどく)〟用の台本形式にしてあります。黙読もいいですが、声に出して読んでみると面白いのではないかと思います。
「演読とは何か?」についてですが、まだあまり一般的な語句としては認知されていないように見受けられます。
私は朗読が好きで「朗読劇」を中心にこれまで取り組んできたのですが、この「朗読」という語の定義が幅広く、「どこまでが朗読なのだろう?」「どこからが朗読劇なのだろう?」と考え込むことも多く、頭を悩ませていました。
朗読に携わる方々はお感じになられていることと思いますが、読み手の経歴によっても、朗読の仕方が大きく異なります。アナウンサー、ナレーター、俳優、声優、歌手、落語家、講談師、教師、保育士、宗教者、語り部、などなど、それぞれの領域で培ったものがおありで、それぞれにイメージも表現方法も技術も異なりますので、一概にこれが朗読だといえないですよね。それだけ豊かな世界だと思うのですが、私の場合、演劇が好きなこともあって、会話部分などは〝演じる〟ことをたっぷりと含ませてもよいと感じておりまして、それで朗読劇をすることが多いのです。
それでも、「朗読劇」となると、複数話者での掛け合いというイメージがついてまわります。別に複数でなくとも、一人で読んでいいのですが、そもそも、「朗読」という幅広さを持つ語句に「劇」をつけたところで、それは意味を成しているのか? という素朴な疑問も生まれるわけで……。
朗読に代わる言葉がないかと探しているうちに出会ったのが、「演読」という語句でした。文字通り、演じて読む、という意味合いで使われているようです。これなら、私が取り組んでいることにぴったりだなと思い、この言葉を用いることにいたしました。ぜひ、よろしくお願いいたします。