そのウサギは、魔女だという。
白兎隊に所属するアハウトは、ウサギの少女――シルキヤの付き人に選ばれる。軽薄な「性」の空気を嫌うアハウトは、隊の雰囲気を変えていくシルキヤに反発を覚えるのだったが……。
特異な歌声を持つ「ウサギ」の少女と青年。傷を持つ者たちの交流を描いたSFファンタジー。
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https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=23372002 白兎隊の本業は見回りと言っても過言ではない。事件が起きれば駆けつけるのは当然だが、そもそも生じないようにするのがその役目なのである。故に今日も昼間から一人見回りに出かけたアハウトは、夕刻になってから庁舎へと戻った。
今日は遅番ではないから、真っ直ぐ帰ることができる。では夕飯はどうしようか。そんなことを考えながら、彼はロッカールームへと向かう。明日は珍しくも非番だ。とはいえ出かける用事があるわけでもない。せいぜい買い出しくらいか。こんな機会でもないと試せない、新しいジムを訪れてみるのはどうだろうか。彼はロッカールームに入るなり、襟元のボタンを外した。そうと決まれば今日は夜の訓練は控えめにしよう。久方ぶりに酒を飲んでもよいかもしれない。
そんな風にぼんやりと考えながら制服を脱いでいると、不意に扉が開く音がした。
「ついにアハウトも付き人とはなぁ。どうよ、ウサギの抱き心地は」
制服の上着を籠へと放り投げたところで、背後から聞き慣れた声がする。振り返ったアハウトは片眉を上げた。ゆっくりとした足取りでロッカールームに入ってきたのは、既に私服へと着替えたググだった。ググはアハウトより一年先に入隊した先輩ではあるが、同い年のためかよく気さくに話しかけてくる。世間話が苦手なアハウトはググのことも不得手としていたが、ググの方は全く気にした様子もないのだから困りものであった。
「やっぱり違うもんか?」
「どういう意味だ?」
にやけたググの言葉を、アハウトは即座には飲み込めなかった。だから真顔でそう聞き返してしまった。だがロッカーからシャツを引っ張り出したところで、はっとする。抱き心地。それもググが口にするような言葉。それはまさか、そういう意味なのではないかと。
「何だよその反応。まさかまだやってねぇの? あ、そっか。明日まで研修中か」
案の定、アハウトへと近づいてきたググは、あからさまに小馬鹿にした表情を浮かべた。こうなるとまず間違いはない。やるとは、つまりはそういう行為のことだろう。しかしそれはウサギ相手に気軽に使ってよい言葉ではなかった。そもそもウサギと性行為に至れる――つまり婚姻を結べるのは、遺伝子検査に合格した者だけである。
よれたシャツに袖を通したアハウトは、大きく嘆息した。
「まだも何もない。言葉を交わすのだって、朝の挨拶だけだ」
「嘘だろ? あのウサギ、見境なく男をたぶらかす魔女だって聞いたぞ」
アハウトが首を横に振れば、ググは細長い目を大きく見開いてみせた。魔女。その言葉を、アハウトは脳裏で繰り返した。それは遙か昔にあった魔女狩りの魔女か。それとも空想の世界の話か。どちらにせよ、今生きているウサギにつけるべき名称ではなかった。ウサギはウサギだ。その歌声に特別な力が宿っていても、それは魔法とは違う。何でもできるわけではない。
大体、ウサギが好き勝手に異性と関係を持つことは、法で禁じられている。ウサギはウサギを産むべきだというこの国の方針は、ぶれることがない。
「ウサギが男をたぶらかす?」
故にアハウトはそう問い返した。聞き間違いだと思いたかった。確かにシルキヤの見目は整っているが、それだけではたぶらかすとは言わないだろう。もしも彼女がそんなことをしているのなら、止めさせるのが付き人の仕事だ。
「妙な薬なんかを作ってるんだとさ。それで男を誘ってるんだと」
そんなアハウトの心の内を知ってか知らずでか、頷いたググはにたにたと笑った。アハウトはつい、シルキヤの微笑を思い浮かべた。どこか妖艶ながらも慈愛に満ちた優雅なあの微笑みは、多くの男を魅了するだろう。しかし薬とは何か。そんな噂、アハウトは耳にしたことがない。薬だって勝手に作ってよいものではないはずだ。
「俺は何も知らない」
「なんだぁー。堅物で耐性がない黒のアハウトのことだから、あっさり陥落したのかと思ったのに」
すると肩をすくめたググは、わかりやすく落胆した様子を見せた。そうしてがしがしと栗色の髪を掻いた。アハウトは眉をひそめる。黒のアハウトなどという蔑称は、正直好きではない。そう呼び出したのはググが最初だが、いつの間にかそれは隊内で定着しつつあった。この呼び名を使わないのは、今やモルンデル隊長くらいだろう。
アハウトのような深い黒髪は、この国では珍しい。これは母譲りだった。聞くところによると曾祖父が隣国の人間だというから、その影響かもしれなかった。母の話では、国によっては大半の人間が黒髪である地域もあるというから、サタヤーナは相当偏っていると言える。
そう、サタヤーナはあらゆる点で偏っている。そもそもその成り立ちも特殊なのだ。この国はウサギによって守られた、風変わりな国だった。この地にのみ生まれるというウサギには、特別な力が宿る。その歌声は聞いた者の戦意を喪失させるのだ。
中にはその歌を耳にしただけで、卒倒する者もいる。それどころかウサギによっては、人を死に至らしめる力を持った者までいるという。故に他国は容易にサタヤーナには手出しができない。もっともそれはウサギを恐れているというよりは、これを利用したいがためという側面が大きいようだが。
何にせよ、この国はウサギのおかげで大国に飲み込まれることもなく、こうして生き残っている。特に大国レダンとの結びつきは強く、今やサタヤーナはその同盟国の一つにまでなった。
サタヤーナでウサギが類い希なる地位を得ている理由はここにある。ウサギなくしてサタヤーナは成り立たない。この国にはウサギが必要だ。となるとウサギを絶やさぬことが、国家戦略として重要となる。故にウサギは法に縛られた存在であった。ウサギはウサギを産むために存在しているし、そのために法が整備されている。
と、思考が逸れていることに気がついたアハウトは、一つ咳払いをした。今はウサギのことよりも、あらぬ疑いをかけられていることの方が問題だ。大体、アハウトが堅物なのではなく、ググが軽薄なのだ。ググの世間話の半分以上は、色事にまつわるものなのだから。
「俺は一切誘われてはいない」
ググにはつい反発したくなるが、それをアハウトはぐっと堪えた。それでもその点については訂正せざるを得なかった。これはウサギの名誉にも関わる話であるし、事態によっては彼女が罰せられる結果にも繫がってくる。ググがその点を理解していないとは思わないのだが、好奇心の方が勝るのだろうか。
「へぇ。それ、気づいてないだけじゃね?」
「薬を使っているのなら、気づく気づかないの問題にはならないだろ」
「あ、そっか。なんだよー、つまんないなぁ」
アハウトがさらに指摘をすれば、ググは興がそがれたと言わんげに肩を落とした。わかりやすい。もう二十歳だというのに、子どものような言動である。いや、子どもならこんな下卑たことを話したりはしないか。
ググを含め、多くの隊員にとっての娯楽は女と酒だ。しかし非番でもない限り、酒は飲めない。そのせいか、ググはよく女の話題を口にする。今日はその対象がたまたまシルキヤだったのだろう。それは理解できるのだが、相手がウサギなだけに、ついつい苦言を呈したくなる。
「まあいつウサギの気が変わるかはわからないからな。注意はしろよ」
それでも何かちくりと刺さねば気が済まなかったのか、ググはそう言ってアハウトの肩を叩いた。注意も何も、ウサギとそういう関係になるのは法に触れる。それはパートナーに選ばれた者にだけ許された行為だ。アハウトはそんな禁を犯すつもりはない。
「当然だ」
だからアハウトにはそう答えるしかできなかった。あのウサギとそういう関係になる可能性など、彼の中にはこれっぽっちも存在しなかった。