エネルギーは情報として伝播する。目にした瞬間に、視界から飛び込み瞬時に全身にまとわりつく、奇妙な重圧を感じた。あの黒いエネルギー――闇だ、とミュウは不意に悟った。
ミュウのシステムが、意識せずとも大量のエネルギーの情報を読み取り、悪性のデータを明らかにしていく。
それは情報の爆発だった。
自分のものではない、誰かの知らない記憶がミュウの中を通過していく。大量の死の光景。断末魔の絶叫。末期の息を詰める音。体中の骨が砕ける感覚。肺に水が流れ込む。皮膚を炎が焼き焦がす。銃弾が、ナイフが心臓を破り、刀剣が容赦なく腸(はらわた)をえぐりだす。大人も子供も女も男も関係なく、等しくあらゆる残虐な方法で死がもたらされた。そして目の前が決まって暗転する。
これは――人間が体験した死の感覚だ。魂が発する絶望が、憎悪が、呪いと怨嗟(えんさ)が、ぎらりと奇妙に暗く光るエネルギーに変換され、この闇に吸収されていくビジョンをミュウは見た。闇は、顔もないのに旨そうにそれを飲み干し、自らの糧とした。
――魂の苦悶からの、暗い光の搾取。それが、この闇が存在し、活動するために必要なのだと、瞬間的にミュウは悟った。
それを読み取られたことを、向こうもまた知ったらしい。黒いエネルギーの帳(とばり)越しに、振り向いたドリウスの光のない瞳と目が合った。
「――めざわりなおんなだ。おれたちの過去を視(み)たな」
「おまえ――ドリウスではないな」
「あぁぁぁあああ、ちがぁうが、おなじだぁあああ……――妙な気分だが、まぁ、悪かぁねぇよな」
途中から、人格が切り替わる。目は光のないままだが、ドリウスはこちらを向くとにやにやと嗤った。
「満ち足りた気分だ。何でもできる――おまえのような真似事もな」
ぞわりと警告が脳裏を走る。咄嗟にミュウが再びその場を退くと、プラズマ球が現れた。
「おまえがじゃまだ」
ドリウスの顔から再び表情が抜け落ちた。ミュウはドリウスから目を離さないまま、最大速度で空を駆けた。十数秒で数十キロを移動する間も、ミュウのあとを追いかけて次々に巨大な光が迸(ほとばし)る。一瞬遅れて、急激なエネルギー変化を受けた空気が振動し、バリバリと雷のごとき音を発した。
「おまえは何だ? あの白い女は何だ? ――正義も勇気も必要ない。ホワイトコードなどと。この世界には不要なものが、なぜこの世界に生まれてくる?」
ミュウに驚異的な速度で追いすがりながら、悪魔はドリウスの口で語った。
「おまえのようなものが、生まれてくることが世界の異常(エラー)なのだ」
右手を掴まれた次の瞬間、ミシリと軋んで手首から先が砕けた。
「マザー!」
サリアの悲鳴が響いた。
「…………っ! 手を出すな! おまえたちでは潰されるだけだ!」
引き抜いた右手を庇いながら、さらに逃げる。押されていた。
「我々のやり方でなぜいけない? このやり方で、今まで世界はうまく回ってきた。人間が妬み、憎み、嫌うから、それを煽り、すすり、おれたちはそうして代償をもらって管理して、この世界を運営してきてやった。定期的なたたかいは、実にうまくいく間引きにして、最良の光の生産方法だ。長らくおまえたちは、我々のそれで繁栄してきたのだ。我々が罪あるものだというならば、その最後にいるおまえたちこそが最も罪あるものだ、ちがうか」
その言葉は、この世界に横たわる闇の歴史を伺い知るには十分なものだった。
「――っ、それが、シンカナウスの、おまえたちの歴史か!」
「そうだ。それがなぜいけない」
悪魔は目を皿のように見開いたまま答えた。瞳の奥で黒い思いの炎が燃えていた。
「あの女神は弱いものの味方をした。嫌だ嫌だと我が侭と不平不満を垂れ、収穫されることさえ嫌う叛逆者どもだ。この世界を外から変えるつもりだ。させるものか。じぶんにしか許されていないからと、たましいを好きにいじって、おれたちを悪だと、裁定するものは必ず訪れるのだと言うものに、今まで頑張ってやってきた我々を否定するものに、居場所など用意しないのはあたりまえだ」
そんなものは必要ないのだ、と相手は主張した。
「永遠にこれでいい。ずっとこれでいい。だからつぶすのだ。おまえも、おまえの前にいたあの人形(アンドロイド)のように、全て――ぁあ、いい方法を思いついた」
にたぁ、と悪魔は嗤う。
「そうだ、おまえとあの女の真似をしよう。おまえは世界中で手下を作った、おれは見ていた、知っていた。体の代わりになるものはたくさんある。魂のもとを、コードをばらまけばいいんだろう? あの女じゃないから、木偶(でく)の坊しかできないが、きっとうまくいく」
ミュウの背筋が凍った。声が震えた。
「待て――何を。何を、するつもりだ!」
「なぁに……おまえがやったことを、真似するだけさ」
ドリウスが纏(まと)っていたエネルギーが、不気味に蠢(うごめ)きだした。
情報世界には常に様々な情報がひしめいている。人間がどんなに物理的に保護し、暗号化した情報でさえ、情報世界から抜き取れば無意味だ。
簡単な話だ。悪意ある攻撃者が、全ての守られているはずのコンピューティングシステムに簡単にアクセスできるなら――どんな命令であろうと実行できてしまう。
情報世界を利用した、史上最悪の脆弱性。ミュウは白騎士団(ホワイトコード)を生み出すためにそれを利用した。それとすぐに分からないように、少しずつ、時にごっそりと世界の資源を削り取った。だが、まだそれは可愛げのあるものだったのだ。悪魔が作り上げたコードの意図を知った瞬間、ミュウは怒りに震えた。
それは単純な命令ゆえに――最悪の命令だった。
ミュウは初めて攻勢に転じた。だが、何もかもが遅かった。
「めにうつる すべての にんげんを――」
悪魔は嘲笑いながらミュウの攻撃をかわし、空高く飛び上がった。
「――おのれがもちうる ありとあらゆる しゅだんで ころせ」
そして、エネルギーは黒い塵に変化し、一瞬ではるか遠くまで拡散した。
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