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ちんちん短歌〈ちんちん編〉

  • 第一展示場 | T-30 (詩歌|俳句・短歌・川柳)
  • ちんちんたんか ちんちんへん
  • 藤田描
  • 書籍|A5
  • 74ページ
  • 1,000円
  • https://twitter.com/namecatbe…
  • 2023/5/21(日)発行
  • 初刊の『ちんちん短歌』以来、1001首目以降から2003首の、計1001首を収録した短歌集。
    ちんちん短歌はすでに3000首以上の制作数を超えた。本作は新たに作られたちんちん短歌から厳選して1001首の新作を収録。
    〈ちんちん編〉は、ちんちん短歌の中でも、特にちんちんにこだわり、すべてにちんちんの語が入っている、まさにちんちん編と呼ぶにふさわしいちんちんである。

    以下、収録コラムからの抜粋。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     この本にはちんちん短歌という、「ちんちん」という語が入った短歌が千首収録されている。これは異常な事ではないか。

     というか、そもそも歌集――短歌集というものは、異常が前提なんじゃないか。

     歌集とは、短歌を文字にして紙に印刷したものを本としてまとめたものだ。この時点でおかしい。

     だって「紙」って。短歌って、そもそもは音声メディアだったんじゃないのか。「何らかの意図を持ち、日本語話者に伝達しうる言語で、5・7・5・7・7のリズムを利用した、発音可能な詩」を、短歌だと私は思っている。だっから、書き言葉で始まったものでは、本来はないはずだ。日本語が発生した頃、誰かがウケると思ってリズムで(たぶんアクション付きで)言葉を発したのが始まりなはずだ。

     だから、例えば短歌奴隷のような、記憶力自慢に短歌を覚えてもらい、それを短歌記録集として発売するのがスジなんじゃないかと思う。短歌奴隷は、おそらく短歌を作った人の意図や、奴隷なりの解釈も込みで、アクションや表情つきで短歌を再生したり、巨石を運んだり回転する棒を押したりしてくれると思う。とても便利だ。こうして再生される短歌は、紙のメディアとして頒布されるものより、受け手に強い印象を残すだろう。短歌にとっては、そういう記録や流通のされ方の方が、幸せなんじゃないか?

     短歌を紙に印刷して、書き言葉として発表する方が異常なのだ。だから俺は異常じゃない。僕はまともだ。毎日朝ごはんを食べている。短歌を紙に記録する行為は、短歌本来の持つ魅力をダウングレードさせてしまうんじゃないか。世間は俺という才能を資本主義という狭いパンツの中に閉じ込めてやがるのではないか。俺をダウングレードするな。俺をパンツで覆うな。助けてくれ。俺はわいせつ物じゃない。俺を、ここから出してくれ。

      私はちんちん短歌を作っている。そのために、「ちんちん短歌出版世界」という世界を作り、その世界の長として、世界長にもなった。すでに一冊『ちんちん短歌』(二〇二〇年)という短歌同人誌を作り、そこに一〇〇一首のちんちん短歌を収録した。本書『ちんちん短歌〈ちんちん編〉』はその二作目となる。『ちんちん短歌』以降に作成された約二〇〇〇首の中から厳選された千首を収録した。なので通し番号は一〇〇一首目からの続きとなる(つまり私は現時点で三千首以上、ちんちん短歌を詠んでいるのだ。わー!)

     この「ちんちん短歌」が普通の短歌と違うところは、かならず「ちんちん」という単語が入っていることだ。

     なぜ、ちんちんという単語を入れたいと考えたかの詳細は前著に書いたが、簡単に言えば「性的な単語を使った短歌を詠んで、女性の気を引き、性的なニュアンス込みで出会いたいから」である。平安時代、短歌が出会いのツールであったところから着想した。だがその目的に、はたして「本」という発表方法は、本当にベストだったのか。

     「お守り」として考えてもらうのはどうか。

      俺、他人の歌集買っても、ほとんど全部読まないんですよ。

     もう、読めないんです。疲れて。疲れ切って。毎日、もう限界で、つらくて。

     でも、短歌なら。

     短歌だけなら読めたんです。短いから。だってたった三十一文字だし。

     そして、助けられた。励まされた。死ぬかもしれないところを助けられた。私にとってそれは魔法の呪文だったし、歌集が、手元にあるという事は何よりも自分が自分でいられるお守りのようだった。何日も読めなかったけど、歌集が、短歌が、鞄の中に、自分の本棚に、そこに、ある、それだけで、私は生きることができた。

      それは紙の本だったから、お守りという具体な物質だったから、なされたのではなかったか。

     お守りなら、わざわざ頑張って読まなくていい。全部読んだら疲れちゃう。お守りの中の呪文って、ふつう、読まないし。その代わり、この本を本棚に、鞄の底に、机の適当なところに置いてさえあれば、何かの間違いで中の短歌を一首くらい目にするかもしれない。その一首には、社会にとって異常で、不浄で、世の中にとても出せない、とされてしまった私――ちんちんが、それでも、生きて、生きて、今、ここに在る、という念が込められている。

     そう、祈った。

     ちんちん短歌自体、文学としてのクオリティはともかく、神社のお守りに匹敵する怨念がある自負はあるのです。

     本書を手元に置けば、魔除けになる――絶対に魔を除けます。私は……今まで誰にも言ってなかったのだが実は神の声が聞こえるのだが、神もそう言っているのだ。魔除けるよ、と。もうね、なにもかね、限界なんだ。

      こういう祈りだったら、「紙の本」である必然性はあると思った。デジタルでは、人は祈りきれない。そして短歌もまた、そもそもはエンターテインメントではなく、限界の人に向けた祈りであったんじゃないか。

      だから本書は、一首一首味わってもらうような構成、装丁はしていない。全部読まなくてもいいと思ってます。

     ただ、ここに、ちんちんがある。ちんちん短歌が、短歌を使って女性に会いたかった人の祈りが、ちんちんを通じて自分の現在の怨念が、祈られて、祈られて、なんか、ここにあります。

     こういう祈り方は、はたして異常な事なのかどうか。

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