初刷2018年の既刊を再編集。
新たに短編1編を加え再版します。
残り少ないためお早めに。
「廻り路」
お手紙様と呼ばれるその社の境内には手紙の生る木が立っている。
その銀杏の枝に恋文を結びさえすれば、ひとりでに縁も結ばれるという噂だから、町中の誰もが秘めた心を打ち明けて宛のない独りよがりな文を書く。
今日もそこに手紙を生らせるものが一人。
また、その手紙をぬすみ見るものが一人。
明治から大正へ移りゆく東京を舞台に、知っているのに知らない二人が、ただ互いを恋う。
もどかしく愛おしい、いつか交差する恋愛小説。
──すべらかな美しい紙にしたゝめられた、たゞ一通の恋文からはじまる二人の奇譚。
「焚き火」
人よりも寄り道をしない人生を歩んできた。
火付けに押入り、殺人……妄想をするだけならばなんだってできる。
──今かもしれない。今であれば、多少火遊びをしたところで何の害にもならないだろう。
冒頭(廻り路) その神社の境内には、手紙の生る木があるというので有名であった。山中に打ち捨てられたように獣道の参道を歩いて行った先にある社は、思いがけず手入れが施されていて、いつでも朱塗りの美しい鳥居が待ち構えている。こぢんまりとした社の周りはすぐに森で、それに紛れて一本だけ立っている御神木、育ちきっていない貧弱な銀杏の木がそれだ。その木は葉をつけることも実をつけることも地味で、よく見なければそれが銀杏の木であることにも気がつかないであろう。
それは一見するとくすんで白くこんもりとしている。重そうに見えるものは夥しい数の結び文で、枝に隙間なく結ばれているのでまるで葉や実のように見えた。それらはいつのまにか生り、そしていつのまにか消えていく。生るところも、朽ちるところも誰も見たことがなかったが、しかし町人たちによって結わえ付けられていることだけは周知の事実だ。皆がその木に手紙を結ぶのは、そうすることで願いが聞き届けられるという古い言い伝えがあるからで、それが事実だと裏付けるような量の供物が、平日にも社にたくさん並んでいる。その由緒がどこにあるのかもはや誰もが知らないのに、神社自体は忘れ去られるはずもないほどに町人たちに慕われていた。
いつからかそこはお手紙様と呼ばれている。あの木に手紙を結ぶには、誰にも見られてはならないという言説があったけれど、実際に参ったものたちは、どのような時間に参ろうともまるで自分以外はその参道を見失ってしまったのかと思えるほどに、誰にも会うことがない、と囁きあう。今まで神主一人として誰にも見かけられることがない。それであるから、誰もがその獣道を一人で訪れては、文を結わえ付けて、そしてただ一人帰っていった。